あらすじ
紀元前十一世紀、古代中国・殷(商)王朝。そこは、あらゆる国家の意思決定が「神への生贄(人牲)」によって行われる、血塗られた信仰の時代だった。
若き王・子受(しじゅ)は、数百年に及ぶこの凄惨な伝統を断ち切るべく、前代未聞の改革を宣言する。「今日より、神の筵(むしろ)に載せるのは人ではない。酒と肉をもって、血に代える――」。
後世に「酒池肉林」と蔑まれるこの新政は、実は人間を祭壇から救い出し、労働力として国を豊かにするための政治的策略だった。しかし、長年の信仰と利権を奪われた巫師集団、推薦される「神罰」を恐れる民衆の反発は、想像を絶するものだった。
子受の志を理解し、その「汚れ役」を引き受けた復讐の王妃・妲己(だっき)。彼女の苛烈な粛清は、やがて「為婦言是用(女の言葉に従った)」という歴史の罪状へと繋がっていく。
正義とは何か。信仰とは何か。正しい改革は、なぜ「暴政」として記憶されねばならなかったのか。
滅びゆく王朝の最期に、一人の男が遺した「文明の種」を巡る、壮大な歴史政治ドラマ
『代神之筵』世界観・用語設定資料(考証と設定)
本作の執筆にあたり採用した歴史考証、および独自の設定についてまとめました。
1. 人物・呼称の定義
命名と呼称の原則
本作では「生前に廟号(死後の名)を使用しない」という原則を徹底しています。
子受(しじゅ):主人公の本名。親しい者のみが呼び、外部の人間は「商王」や「大王」と呼びます。「紂王(ちゅうおう)」は後世の蔑称であり、作中では姫発による断罪の場面まで使用しません。
妲己(だっき):ヒロイン。「己(き)」姓の「妲」という名。有蘇氏の出自。
姜婉(きょうえん):子受の正室(皇后)。『封神演義』に登場する姜皇后、およびその実家である東魯(とうろ)の背景をベースに再構築されたキャラクター。
架空の命名ではあるが、史実における商王・子受(帝辛)にも実際に正宮王后が存在していたという歴史的記録に着想を得ている。
太公望(たいこうぼう):姜子牙。本作では皇后一家(姜氏)との混同を避けるため、一貫して「太公望」の呼び名を採用しています。
姫昌(きしょう)/姫発(きはつ):西岐の指導者。「文王」「武王」という廟号は使用せず、名前または「西伯」「周王」の称号で呼びます。
比干(ひかん):子受の叔父。名は子干。最も著名な「比干」の名を採用しています。
申公豹/趙公明/聞仲:『封神演義』に由来する架空・伝承上の人物として配置しています。
2. 地名・国名
邑商(ゆうしょう)/大邑商:商代の人々による自称。本作では周代の呼称である「殷」は原則として使用しません。
朝歌(ちょうか):商の王都。帝乙の時代に拡張される前の旧名「沬邑(まいゆう)」から改名された設定としています。
3. 商代の宗教・祭祀プロセス
本作では、商代の意思決定と祭祀を以下の三段階の政治的プロセスとして描いています。
1.
卜(ぼく):占卜。亀甲や獣骨を焼き、その亀裂(卜兆)から神(帝)や祖先の意思を問う。
2.
告(こく):告廟。占いの結果を宗廟で祖先に報告し、内部の政治的合意を形成する儀式。
3.
祭(さい):献祭。目的達成後の報酬として神や祖先に供物を捧げる。本作の核心である「酒池肉林」は、この段階での「人祭」を廃止するための代替政策です。
4. 重要用語解説
吉金(きっきん):青銅器の呼称。鋳造直後の青銅器は「黄金色」に輝いており、錆びた緑色を商人は忌み嫌ったとされます。本作ではその高貴な質感を強調します。
大牢(たいろう):牛・羊・豚の三種の牲畜。最高級の供物。本作では姜婉が提案する「鶏・魚」の祭祀は、当時は正式な規格外として扱われる苦肉の策として描かれます。
人牲(じんせい):神への供物とされる人間。主に戦俘。当時の観念では、人間の苦痛は強大な精神エネルギーとして祖先に届けられる「孝道」の一種と考えられていました。
天邑鑑(てんゆうかん):本作オリジナルの巨大な酒器。鏡(鑑)の原型である水器を巨大化させ、「酒池」の象徴とした架空の礼器。
玉符(ぎょくふ):玄玉で作られた信物。王の命令を執行する権利を象徴する、本作における「王印」です。
貞人(ていじん):占卜と神意の解釈を司る巫官の職称。