あらすじ

学生の頃から、心に残った文章をノートに書き写してきた。 子育てに追われ、 本を読む時間などほとんどなかった頃でも、 時折どうしようもなく活字に触れたくなる時があった。 子供たちが眠ったあと、 睡眠時間を削って本を読んでは、 心に残った一節を書き写していた。 数年前、いや、2-3年前だったか、 大掃除の折に、そのノートを手に取り、 長い歳月を経てあらためて読み返してみた。 鼓動というと大げさだが、 少しばかりドキドキしている自分に驚きながら、 表紙をめくった。 子供の落書きでボロボロになっているけれど、 ページを一枚ずつめくっていくたびに、 その時々の自分が鮮やかに浮かび上がるー それが原点に立ち戻る、という感覚なのだろう。 様々な作家の文章を書き写してあるが、 数十年という歳月を経てもなお、 心の奥で響き続けるのは、やはり太宰治だった。 初めて太宰治を読んだのは小学校5年生。 「斜陽」と「人間失格」を読み、 何かがガラリと変わったような強烈な衝撃を受けた。 「これだ!」と思った。 生まれて初めて「共感」というものを 体験した瞬間だったのだと、 今はこうして説明できる。 たった十年の人生なりに、 あれは衝撃だったのだ。 運命の出会いのようで、 太宰治の言葉は私の血となり、 肉となり、骨となり、 細胞にまでなった。 ----------------------------------------------------------------------------------- 十代の私が「斜陽」から書き写していたのは、この一節↓ 「死ぬ気で飲んでいるんだ。生きているのが、 悲しくて仕様がないんだよ。 わびしさだの、淋しさだの、 そんなゆとりのあるものでなくて悲しいんだ。 陰気くさい、嘆きの溜息が四方の壁から聞こえている時、 自分たちだけの幸福なんてある筈は無いじゃないか。 自分の幸福も光栄も生きているうちには 決して無いとわかった時、 ひとはどんな気持ちになるものかね。 努力。 そんなものは、ただ、飢餓の野獣の餌食になるだけだ。 みじめな人が多すぎるよ。キザかね」 「あぁ、何かこの人たちは間違っている。 しかし、この人たちも私の恋の場合と同じように、 こうでもしなければ生きて行かれないのかもしれない。 人はこの世に生まれて来た以上は、 どうしても生き切らねばいけないものならば、 この人たちのこの生きるための姿も、 憎むべきではないかも知れぬ。 生きている事。生きている事。 あぁ、それは、何というやりきれない息も たえだえの大事業であろうか。」 ---------------------------------------------------------------------------------- あらためて「斜陽」を読み返した。 文章が、言葉のひとつひとつが、 ため息が出るほど美しい。 美しく、切なく、奥深く、 厚みがありながら、 繊細で、気高い。 私にとっての「尊い世界」。 この数年、まるで「失われた時を求めて」いるかのように、 過去を見つめなおす出来事が次々と起きている。 あまりに急いで生きてきて、 後ろを振り返ったことなどなかった。 けれど、子育てが一段落し、 本当の意味で自由な日々が始まると、 歩いてきた、いや、走り続けてきた道を ふと振り返る機会が、 どこからともなく訪れるようになった。 そういった一連の出来事は、 何かを取り戻し、 原点に立ち戻るー そして、「自分らしく生きる」ための扉なのかもしれない。 人生の流れは、 こうして適切なタイミングで、 必要なことを用意してくれる。 今、私はその扉を、 ひとつずつ丁寧に 開けていく日々を生きている。        ~おわり~ 3スキ 長い歳月を経て、あらためて太宰治の「斜陽」を読み返してみた。 子供の頃から、飽きることなく繰り返し読み耽った。 文学という世界への憧れー 幼い頃からの憧れと夢が、徐々に私の血となり骨となり、 欠かせないものとなった。 思い入れがありすぎて、読み返すのには少しばかりの勇気が必要だった。 昔の自分が蘇り、懐かしいというのではない、妙に切ない感じが 胸に広がった。 美しい文章でありながら、既成の概念を壊していく。 今でもなお、目の前の何かを破壊する「生のチカラ」が流れている。 ページをめくるたびに、その繊細で、気高い世界は、 今の私も魅了させてやまなかった。 そんな「斜陽」の世界に触れていただけるよう 高校生の頃にノートに書き写した文章を、 引用しました。 どうぞお楽しみください。

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カクヨム
カクヨム2026/08/29
  • 現在の作品失われた時を求めてー太宰治へー | 原点に立ち戻り、自分らしく生きる扉を今