あらすじ
旧校舎の解体を前に、図書委員の橋本灯は図書室の蔵書整理を手伝っていた。廃棄予定の『海鳴りの町 郷土史 下巻』から、四十年前の貸出カードと学校新聞の切り抜きを見つける。そこには「月光クラゲ、今年も現る」という記事と、「屋上、二十一時」とだけ書かれた手書きのメモが残されていた。
灯は、廃部寸前の天文部にただ一人残った同級生・仁科とともに記録を調べ始める。古い屋上の鍵の貸出簿には、毎年中秋の名月の夜だけ「樋口ゆき」という署名があった。それは、無口で近寄りがたい司書・樋口先生の旧姓と同じだった。高校時代の彼女は、海上に月光で浮かぶ不思議な光景を「月光クラゲ」と名づけ、学校新聞に書き続けていた。しかし記事に名を記さず、屋上への誘いも印刷しなかったため、誰もその景色を見に来なかった。
中秋の名月の夜、灯と仁科は旧校舎の屋上へ忍び込む。そこには樋口先生が待っていた。三人は沖の海に、月明かりと霧、灯台の光がつくり出す、クラゲのような光の群れを見る。誰にも届かないかもしれないと思いながら書き、名乗ることを避けてきた灯は、かつての樋口先生の孤独と自分自身を重ねる。
後日、灯は図書だよりに月光クラゲの記事を書き、自分の名前を初めて記す。仁科もまた、天文部の観測ノートに自分の名を残す。移転する本の貸出カードには、かつての樋口ゆきの名の下に灯、そして仁科の名前が加わる。誰にも手渡されなかった記録は、ようやく次の誰かへ渡っていく。潮騒の聞こえる図書室で、三人はそれぞれに、自分の言葉と名前を残し始める。