あらすじ
車掌として乗務を続ける男は、終着駅へ向かう列車の中で、見習い時代の記憶を思い出していた。
彼の指導車掌は、暴言と嫌味を繰り返し、失敗すれば怒鳴り、常に殴られるのではないかと思わせるほど威圧的な人物だった。厳しい指導を受けて一人前になったものの、年月が経っても、その頃に染みついた緊張は身体から消えていない。
そんなある日、乗務員区で人気車掌・汐海遼一の話題を耳にする。端正な容姿だけでなく、丁寧で無駄のない車掌動作、後輩からの信頼、乗客からの人気。その姿を眺めながら、男は羨ましさとともに、汐海の指導車掌が安曇だったことを思い出す。
厳しいが理不尽ではなく、困っている者には自然に手を差し伸べる安曇。多くの後輩が「あの人に教わりたい」と憧れる、伝説的な指導車掌だった。
かつて自分が受けた指導と、安曇の下で育った汐海。その違いを考えるうち、男は「人を育てる」とは何なのかを考え始める。
やがて汐海とすれ違い、何気ない挨拶を交わした男は、ふと思い立って彼を飲みに誘う。
数か月後、その約束は実現する。佐伯や小田原まで加わった酒の席で、四人は大いに笑い、誰一人潰れることなく帰路につく。
それは、かつて自分が後輩に対して抱いていたものとは違う、先輩と後輩の新しい関係だった。
鉄道という閉じた共同体の中で、技術だけでなく、仕事への向き合い方や人との接し方まで、先輩から後輩へ受け継がれていく。
誰かに教えられた過去は変えられない。
けれど、自分が次の誰かに何を渡すのかは、選ぶことができる。
一人の車掌の回想から始まる、ささやかな世代交代の物語。