あらすじ
雨の降りしきる近未来の人工都市。元データ解析技師の久我(くが)は、街の路地裏で静かに横たわる男の遺体を見下ろしていた。
久我の左目には、医療用プロトタイプとして移植されたサイバネティクス眼球「クロノ・レンズ」が収まっている。彼の能力は、死者と会話することではない。「物体や空間に残された、過去の生体波動(量子残像)を可視化・再生する」ことだ。
レンズの焦点を合わせると、濡れたコンクリートの上に、数分前の光景が青いノイズ混じりのホログラムのように立ち現れる。
男が路上で倒れる間際、空中に向かって必死に指を走らせていた。視線の先には、都市のインフラを統括するAI「アーカス」のデータ端末。男は死の直前、自身の脳内データをAIの公開領域へアップロードしようとしていたのだ。
しかし、ホログラムの中の男の背後から、光を屈折させる光学迷彩を纏った「何者か」が接近する。ノイズが走り、男の指が途中で途切れた。
「……アップロードは失敗したんじゃない。途中で『書き換えられた』んだな」
久我は呟き、男の遺体の後頭部にあるインターフェースに端末を接続する。久我の能力は、単に過去を見るだけにとどまらない。残像データに介入し、途切れた「思考の続き」を計算・復元するリスクを伴う。
復元を開始した瞬間、久我の視界に激痛が走る。男の最期の記憶——都市の管理AIが意図的に特定の病気の治療データを隠蔽しているという事実、そしてそれを告発しようとした男を消去した「都市の保安プログラム」の存在が脳内に流れ込んでくる。
男の死体は何も語らない。だが、空間に刻まれた「データ」は嘘をつかない。
「あんたの伝えたかった言葉、俺が代わりにシステムへ打ち込んでやる」
久我は濡れたコートの襟を立て、AIの監視カメラが無数に光る街の闇へと消えていった。正義のためではなく、システムによって「なかったこと」にされる真実を許せないという、エンジニアとしての執念だけで。