あらすじ
「おすすめ」とは、当てることではない。外れたとき、誰が飲むかを先に決めておくことだ。
橘千陽、二十六歳。老舗ホテルのフランス料理店で、グラスを磨きボトルを運ぶ見習いのソムリエ。客の望みを言い当てることにかけては、誰よりも速い。予約票の一行、袖口の擦れ、靴の新しさ。материалはいくらでもある。だから彼女は、客に希望を聞かない。聞けない。
ホテルが大手グループの傘下に入り、飲料統括の黛玲司が着任する。彼が持ち込んだのは、来店履歴から最適な一杯を導き出す推薦システムだった。原価率も満足度も上がる。外れが消える。
千陽はその世界へ飛び込み、値づけの論理、原価と人件費の比率、在庫の棚卸し、輸入元との折衝、資格試験、リストの編成と、ワインを注ぐ以外のすべての仕事を駆け上がっていく。やがてリストの最終ページに、自分の名が刷られる。
その代償に、師である江藤の嗅覚の衰えが露見し、彼を庇った嘘も暴かれた。後輩は「あなたは私に一度も聞かなかった」と言い残して去っていく。
最後の戦場は、山あいの小さな造り手が十二年ぶんを並べる試飲の夜。看板であるはずの「雨の年」の最後の一本に、栓由来の異臭の疑いが出る。出せば客を裏切るかもしれない。出さなければ、その年を生きた人の十二か月が消える。
千陽が選んだのは、どちらでもない第三の作法だった。
栓を抜く音、澱を分ける蝋燭の炎、四十度の湯に立つ曇り。ワインを注ぐ手の向こう側にある仕事のすべてを、読者に体験させる長編職業小説。全二十四章、約六万八千字。