あらすじ
昼下がり。空一面を鈍色の雲が覆い、陽射しは薄く濁っていた。山全体が湿った灰色の膜に包まれているようで、息を吸うたびに肺の奥までじっとりとした重苦しい空気が染み込んでいくようだった。
そんな山中を一人の男が歩いていた。
木々の間を縫うように進み、積もった落ち葉を踏み鳴らしながら緩やかな斜面を黙々と登っていく。そこは登山客が通るような整備された登山道ではない。周囲に人の気配はまったくなく、聞こえてくるのは男自身の荒い息遣いと衣擦れの音、無遠慮な足音だけだった。
遭難しているわけではない。もっとも、本人にその自覚はなかったが、半ば遭難しかけているような状況ではあった。だが男は帰り道の心配などほとんどしていなかった。歩いてきた道筋はなんとなく頭に残っているし、斜面を下り続ければいいだけの話だ。ふと不安がよぎったときも、そう自分を納得させていた。