あらすじ
「柏木くん。……今日、一本遅らせませんか」
隣のクラスの優等生・東雲凪は、毎日同じ電車の、同じ位置に立っている。
断らない。迷わない。全部に正しい返事をする。
——そして、彼女のカレンダーは、八月三十一日で終わっている。
柏木湊には、名前を呼ばれた記憶がない。
出席は飛ばされる。写真はぶれる。母は「お客さん?」と笑う。
この世界には台本があって、自分にだけ台詞がない。それだけは、わかっていた。
二人が予定を一本ずらすたび、街から音が消える。
看板の文字が白くなる。時計の秒針が止まる。
凪はそれを「余白」と呼んだ。
濡れて帰る。行き止まりに入る。まずい缶を買う。
どうでもいい選択を重ねるほど、湊の輪郭は薄くなっていく。
それでも彼女は、腕に彼の名前を書いて、何度でも呼ぶ。
推薦が決まった夜。祭りの裏路地で、凪は言う。
「全部いいものなのに、ひとつも、私が選んでない」
「柏木くんだけです。私が選んだの」
——世界が優しく元に戻そうとする、その手を振り払う話。
【登場人物】
柏木 湊(かしわぎ みなと)……高校二年。誰の記憶にも残らない少年。出席を呼ばれず、写真に写らず、家族にも半分忘れられている。世界に台本があることに気づいている唯一の人間。口癖は「べつに、いいけど」。何も欲しがらないふりをして、たった一人だけ手放せない。
東雲 凪(しののめ なぎ)……高校二年。誰からも好かれる優等生。頼まれごとを断ったことがない。口癖は「そうしたほうがいいので」。自分の好きな食べ物を、この夏まで知らなかった。予定表が真っ白になる日を、ずっと怖がっている。
朝比奈 累(あさひな るい)……二人の担任。二十八歳。よく笑い、生徒をよく見ている、本当にいい教師。悪意はひとつもない。ただ一度も、自分で何かを選んだことがない。
「キャラ名M」=モノローグ(心の声)
カドコミ漫画原作コンテスト応募作品のため、脚本形式