あらすじ
バルドは、村のみんなに好かれている。
畑の見張り台に立って、通りかかる者の名を、片っぱしから呼ぶからだ。
「おう、ミレナ!」
「おう、じいさん、腰は!」
村の全員の名を、一度で覚えて、必ず呼ぶ。それがバルドの取り柄である。
取り柄は、それだけだった。数は二十までしか数えられない。地図は読めない。嘘はつけない。
好かれてはいるが、当てにはされない。作戦の席に呼ばれたことは、一度もない。
けれど、伝令たちが口だけで継いできた、古い言い伝えがある。
一 人は、動く前に一拍だけ迷う。
二 迷っている者の耳には、迷いのない声が、どれだけ離れていても届く。
三 届いた声は、その一拍のあいだだけ、迷いの代わりになる。
バルドの声は、届く。敵にも届く。
ただし、一拍は三語ぶんしかない。四語目は、届く前に一拍が終わる。
叫んでいるあいだ、彼は動けない。信じていない言葉は、声にならない。
そして――一日に三度まで。四度目を出すと、喉が裂ける。
賢い者たちの策が回っているあいだ、誰も迷わない。だからバルドの声は、誰にも届かない。
――策が裏をかかれて、三万の味方が総崩れになった、その日までは。
音が抜けた。
逃げてくる列の正面で、彼は今日四度目の息を吸って、三語だけ叫んだ。
「みんな うしろを みろ」
逃げていた三万人が、同時に、振り返った。
敵将が、生まれて初めて、味方に問う。
「……今の、誰の声だ?」
これは、二十より上を数えられない男が、
三万人の名を呼ぼうとする話である。