あらすじ
この家でいちばん丁重に扱われるのは、いつも他人である。
侯爵夫人イレーネは、八年それを疑わなかった。
自分は家の者だから、後回しでいいのだと思っていた。
ある日の午後、外套も脱がない娘が玄関に立った。
夫の恋人だと、その場ではっきり名乗った。
使用人が全員、息を殺して主人を見た。
イレーネは、声を荒らげなかった。
銀の名刺盆を差し出し、お名刺を頂戴できますかと尋ねた。
そして、いちばん良い客間へ通した。
いちばん良い茶器を出した。
三十分きっかりで、丁重に見送った。
怒鳴りもせず、泣きもしない。
この街には、来客をどう扱うかの細かな決まりがある。
誰を通し、誰を断り、誰の名を盆のいちばん上に載せるか。
それを決めてきたのは、八年ずっと彼女だった。
翌日、夫が話し合おうと言った。
イレーネは、夫を客間へ通した。
彼女がやめたのは、財産でも愛情でもない。
たったひとつ、別のものだった。
その頃、彼女の手の動きの意味に気づいた男が、ひとりだけいた。
嘘はひとつもつかない。
声も荒らげない。
それでも、二度と家の者としては扱わない。
いちばん丁重にもてなすことが、いちばん重い返事になる。
そんな別れ方を、あなたは見たことがあるだろうか。