あらすじ
大学二年の春、家庭教師を始めた田村は、新たに中学二年生の少女・美咲の指導を引き受ける。青葉台のマンション七〇二号室で出会った彼女は内気ながらも素直で、基礎から教え直すうちに数学の成績を大きく伸ばしていく。授業は順調に進み、田村は初めて仕事にやりがいを感じるようになるが、同時に違和感も募っていった。マンションの七階では誰一人住人に会わず、美咲は学校の人名を一切口にしない。さらに、母親は毎回正確すぎる時間に現れるなど、不自然な点が重なっていた。
ある日、派遣会社から住所の誤りを知らされ、田村は本来の依頼先である八〇二号室を訪れる。そこには全く別の少女が住んでおり、七〇二号室の住人は存在しないという。管理人の話によれば、七〇二は空き部屋であり、十年前に「山田美咲」という少女が事故死した過去があった。彼女は家庭教師を心待ちにしていたが、その前日に命を落としたという。
田村の手元には、美咲から受け取った古い紙幣と、年月を経た手紙が残されていた。そこには感謝の言葉と「また会えますように」と綴られていた。田村は真相を誰にも語らず、空き部屋となった七〇二に最後の問題集を置いて別れを告げる。半年後、その部屋には再びカーテンが掛かっていた。
現在も家庭教師を続ける田村は、生徒に「できたね」と声をかけるたび、あの三か月を思い出す。少女が本当に存在したのかは分からない。それでも、自分が教え、成長した一人の生徒が確かにいたことだけは信じ続けている。