あらすじ
薄暗い廊下で、私は立ち止まる。
眼前の扉の上には古びたベニヤ板が打ちつけられ、そこに「創造歴史サークル」とかすれた文字が残っていた。
四月の空気はいまだ冷たく、廊下の奥の窓越しに見える桜は花弁の多くを散らしていた。残った花びらは、青く伸び始めた葉の中で所在なげに揺れている。
朝の早い時間のせいか、建物はひっそりと静まり返っていた。
ここは大学の外れに立ち並ぶ古い建物の、そのいちばん端。「学生棟五号」と呼ばれる棟の三階。
この「学生棟」というのが、大学のサークルが入居している建物らしい――それを知ったのは、つい今しがたのこと。そもそも私は、数日前に入学式を終えたばかりで、大学の敷地に足を運ぶのもまだ数回目なのだ。念のため手にしたサークル案内の冊子の、付せんがしてある頁をもう一度開く。
「創造歴史サークル 部長・佐倉佐 毎日、朝から、活動しています」
枠だけが確保された紹介欄にはそれだけが淡々と書かれていた。挿絵も活動の説明も記載がない。
私は小さく息を整え、緊張を紛らわすように髪を撫でつける。中学の頃からの癖だ。父譲りとされるやや切れ長の黒目がちな目にすっと通った鼻筋。よく友人から男前というか小学生男子っぽい顔、と評される。
「あなたね。今までは勉強もあったし、人それぞれなところもあるから何も言わなかったけどね、これからはもう少し交友関係を広げて、自分磨きもしなさい。お父さんもお母さんも、若い頃は平均点ちょい上くらいには収まっていて、人並みに青春していたんだから。あんたも精進しなさいよ」
入学式後に、他県の家に戻る母さんとの別れ際に、そんなことを言われた。実の母親のくせに言葉を選びすぎていて、なんのことを言っているのかその時はピンとこなかったが、要するに容姿とか男女関係とか、そんなことについて言われたのだと後から気がついた。
小中高と、どちらかと言えば大人しいタイプだった。数人の友達もいつもいたし、外に行くこともあった。ただ、それだけで、世間一般で言われている青春らしい青春をした記憶は、親の言うとおりほぼない。そもそも中高は女子高だったし。
それだけがというわけでもないが、今、私がここにいる理由はそんなところにある。今朝、生まれて初めて化粧めいたこともしてみたのだ。もっとも友人の知佳に見せたら「どこが変わったの?」と言われるに違いない程度の、ほんのわずかな変化だ。それでも――小学生男子っぽいらしい顔立ちに、ほんの少しだけ妖艶のエッセンスが加わったような気がする。もっとも、妖艶の正しい雰囲気を私はよく分かっていないのだけれど。
意を決すると、私は小さく息を吸い込んで扉をノックした。
耳を澄ませたせいか、建物を包む静けさがいっそう濃くなった気がした。
だけれども、どれほど待っても、中からの応答はなかった。冊子には「朝から活動」とあったが、正確な時間の記載はない。大学生にとっての「朝」は、高校までの感覚とはまるで違うらしいと、登校してくる生徒たちを眺めていて、なんとなくそう感じてはいた。今の時刻は九時。自分としては「朝」と言えば代表格の時間帯だと思う。けれど、それも人それぞれ、場所それぞれなのかもしれない。
「さて、どうしようか」
出直そうとか思いつつ、どこでどれだけ時間を潰せばいいか、と少し悩む。たぶん、知佳はアパートでまだ寝ているだろうし……。
念のためと思って、私はドアノブを握ると、なんだか開きそうだった。
さすがに中に入ろうとは思ってはいなかったが、せめてどんな雰囲気かだけでも――そう思い、静かに押し開ける。
中は廊下と同じく薄暗かった。横幅に比べて奥行きのある細長い部屋だ。中央には部屋に不釣り合いなほど大きな四角いテーブル。両壁に古い本棚が並び、雑誌や分厚そうな本が、あまり整理されていない様子で並んでいた。
部屋の奥に視線をやった時、私は思わずドキッとした。
テーブルの端に人影があったのだ。
その人物は机に頬を乗せて眠っていた。退屈な講義の最中にこっそり居眠りする学生のようにどこか窮屈そうに、しかし、幸せそうな寝顔を見せていた。
部屋の一番奥の窓が半ば開き、風に揺れるレースカーテンが木漏れ日を散らす。その淡い光が、その人物の横顔をまだらに照らしている。雪花石膏のような白い肌にそれを調和するような少しカールした薄い色の髪。高く、すっと整った鼻梁。長いまつ毛に縁取られた閉じた瞼は、切れ長の目を思わせる。肩口に流れる髪は朝の光を受けて紫を帯び、艶やかに輝いていた。唇はわずかに開き、桃色の瑞々しさを残したまま、かすかな寝息を漏らしている。
イケメンという表現が適さないほどに、その人物は独特の雰囲気のある整った容姿をしていた。
(あれが佐倉佐、さん?)
冊子に書かれて読めない名前のサークルの部長の名前が頭に浮かんだ。
彼が佐倉佐(読めない)に違いない。なんの根拠もない。が、寝ているその人物の雰囲気が、まるで回文のような(実際にはそうではないけれど)ミステリアスな名前と整合がとれているような気がしたのだ。
「あの」
扉を開けたまま、私は小声で呼びかけた。
返事はない。静寂のなか、彼の規則的な寝息だけが聞こえていた。
「あのお、ごめんください」
声の音量を一メモリほど上げた。言ってから「ごめんください」は、ちょっとおばちゃんっぽいか、と思った。
「えっと」
起きそうにないので、もう一度声をかけようとしたとき、彼の肩がわずかに揺れた。続いて、上体がゆっくりと起き上がり、重たげな瞼が開く。
まだ眠気をまとった瞳が、こちらに向けられた。
少し、胸が跳ねたのが自分でも分かった。寝顔を見て覚悟はしていたはずなのに、実際に目が合うと緊張する。
それほどまでに整った、しかも強く印象に残る顔立ちをしていた。
その人は、訝しむように――あるいはただ眠いだけなのか――細めた目でじっと私を見つめている。
「す、すみません。サークルの見学に来ました」
取り繕うように声をかける。
「朝から活動していると書いてあったので……」
言い訳めいた響きを自分でも感じながら言葉を足すと、彼は小さく二度頷いた。
「ああ……そんな時期でしたね」
独り言のようにそんな台詞を口にすると、眠気を払いきれない動作で立ち上がり、窓際の照明のスイッチを押した。
「どうぞ、入ってください」
どこかぎこちなく、手で合図して中へと促した。
続けて、奥のくたびれたスチール棚からカップを取り出し始める。中身までは、はっきり見えなかったが、並んでいる数はどうにも心許ないように映る。
――部員、あんまりいないのかなあ、と、ふと勝手に思ったりした。
「失礼します」
部屋の中央まで進み、勧められるまま古びたパイプ椅子に腰を下ろす。改めて部屋を見回すと、外から見た印象と同じでやはり雑然としていた。歴史書の横に週刊誌、さらに場違いな料理本が一冊。整っていない本棚が、そのまま部室の空気を表しているようだった。
「どうぞ」
湯気の立つカップが目の前に置かれた。
その際、その人のカールした髪が目に入った。薄い髪の色は、たぶん、地毛だ。顔の肌といい、もともと色素が少ないのだろう。
「見学に来てくれてありがとうございます。僕がこのサークルの代表の、佐倉佐(さくらたすく)です」
そう名乗り、手作りらしい名刺を差し出した。厚紙に印刷された文字は素朴で、片隅に小さくルビ――〈さくら・たすく〉と書かれている。
「“佐”と書いて、たすく、って読むんです」
名刺を凝視していると、もう一度、名乗ってくれた。
「そうなんですね。初めて知りました」
「あんまり見かけないですが、ちゃんとスマホでも変換できますよ」
「へえ」
私はぎこちない様子で、座り直した。初対面の相手なのか、彼の見た目のせいなのかは分からないが、やたらに緊張するような気がする。
「急に来ちゃってすみません。新入生の酒井美里と言います」
「いえ、見学はいつでも歓迎です。コーヒー、どうぞ飲んでください。パックですが、インスタントよりは多少美味しいと思います」
言いながら、佐倉さんは足を組みカップに口を寄せた。その仕草に学生らしからぬ落ち着きがあって、私はほんの少し見入った。
「数あるサークルの中で、ここに興味をもってくれてありがとうございます」
佐倉さんは微笑みを浮かべ、まっすぐこちらを見る。
さっきからこの人、微笑み力が半端ない。後光の差した菩薩のような、すべてを包み込んで吸い込んでしまいそうな、そんな笑顔を、しかもわざとらしくなく自然と見せつけてくるのだ。
私は凝視しそうになる気持ちを、手を伸ばしたコーヒーカップに視線を逃すことで抑え込んだ。
「歴史が好きなんですか?」
「は、はい。幼い時から歴史ものの番組は必ず見ます。クイズ物とかも」
「きっかけは、ゲームとか漫画ですか?」
「あー、ゲーム。最近はしますけど、元は、時代劇なんですよね」
ちょっと照れ笑いを浮かべた。
「私、おじいちゃん子、なんですけど、祖父がいつも時代劇を見ていて。それを横で見ているうちに、古い物に興味を持ったんだと思います。なんかストーリーも勧善懲悪が単純で、楽しめたような記憶があるんですよね」
一番好きだったのは「水戸黄門」。水戸光圀がお供の助さん格さんを引き連れて全国を漫遊しながら、悪人を懲らしめるストーリーである。
「なるほど。昔の時代劇はセットも小道具もすごくて、説得力がありましたからね」
佐倉さんはコクコクと頷いてくれる。
時代劇好きに共感してもらえたので、少しうれしくなった。
「歴史の上で、好きな武将とか人物はいますか? いわゆる推し」
「今はけっこう沢山いるんですけど……、あえて言うなら私の初代推しの佐々宗淳……です」
言いながら、つい不安げな視線を向けてしまう。こういうとき、あまり有名じゃない名前を出すと、相手が知らなかったときに場が白けてしまうからだ。
だけど、佐倉さんは涼しい顔で、
「水戸黄門の助さんですね」
と、例の菩薩のような笑みを浮かべた。物から光まで、すべてを吸い込んでしまいそうなブラックホールスマイルと私は命名した。
「さすが、よくご存じですね。私の界隈でその名前を知っている人、今までにいなかったです。佐々宗淳」
「『大日本史』の編纂で有名な学者にして、戦国武将の佐々成政の大甥ですからね。彼の話題になると、助さんの話題に話が飛ぶのは定番ですから」
どこ界隈の定番なのか。
「私の場合は、ドラマの助さんがかっこいいなって思っていただけなんですけどね。あと、助さんの俳優が私の父に似ていたって、言われたこともあって、なんか親しみ深かった感じです」
「歴史上、佐々宗淳の風貌がどうだったかは分からないですが、よい人柄は伝わっています。格さんのモデルとなった安積澹泊は、彼はお酒が好きだったと常陸太田市のお墓に書き残していますね」
「へえ。そうなんですね。……それも、父に似ていますね」
というか、佐倉さん、知識量、半端なさすぎだ。助さんネタ一つでどこまでも話せそうである。
「酒井さんが、数ある歴史サークルの中で、ここに興味を持ったのはどうしてですか? 私が知っているだけでも十以上はあります」
「えっと、それは……。実はちょっと恥ずかしいんですけど。昨日、このサークル紹介の冊子を眺めていて。名前が変わっているなあって」
机上の名刺に書かれた「創造歴史サークル」の文字へ視線を落とす。
「ああ、確かにちょっと、怪しいですよね」
「怪しくはないですけど、ちょっと不思議で。創造ってなにやっているのかなあ、と。あと、佐倉さんの下の名前も、どう読むのかなって気になりました」
「なるほど、佐々宗淳を推しているだけに、佐が気になりましたか」
「あ、それもあるかも」
「逆に酒井さんは、この『創造歴史サークル』がどんなことをするサークルだと思いますか? 活動のイメージって、ありますか?」
佐倉さんは真面目な表情に戻ると、照れ笑いを浮かべる私の方を見つめてきた。
「え、ああ、えっと、今、やっているみたいに歴史の話をしたり、あとは時々、旧跡を巡ったりとか?」
「なるほど」
佐倉さんは二度、軽く頷いた。「そうですよね」と口にしながら、どこかばつの悪そうな表情を浮かべた。
「たぶん、多くの歴史系サークルは、そういう活動をしているんでしょうね。歴史好きが集まって、話したり、どこかに行ったり……。ですが、ここは、そういうことはあまり、というかほとんどしないんです。だから、酒井さんの期待とは、違っているかもしれません」
「そうなんですか?」
「他の歴史サークルでしきりに語られるような歴史系ゲームの話は話題に上がったことがないですし、武将とか刀剣とか、そういうイベントにみんなで行くことはありません。好きなメンバーもいますし、個人的に参加してもらうのは構わないんですけどね。もちろん、活動の中で歴史の話はしますけど、その内容はというと客観的に見て、やや、独特です」
「独特、というと?」
「うーん、別の言い方をすると、マニアック、です」
「マニアック……」
「一つ例を出しますと、先日、たまたま、部員二人の都合があって久しぶりに部室に三人が集結したんです。色々と話しているうちに、泊まり込みで合宿をすることになりました。部室で朝までお菓子を食べたりしながら、食事を摂ったりしながら、歴史談義に花を咲かせました」
「楽しそうですね。それだけ聞くと、普通に大学のサークル活動っぽく聞こえますが?」
「ここまではそうですよね。ただ、その話の内容なんです。酒井さんは高校の社会の選択科目は日本史ですか?」
「はい」
「だったら大化の改新の嚆矢とも言える“乙巳の変”で殺害された、“蘇我入鹿”は知っていますよね」
「教科書と補助資料に書いてある程度の知識ですけど」
大化の改新とか中大兄皇子とかそういうキーワードとセットで登場する、悪役という程度の認識だ。
「初めて“蘇我入鹿”の名前を聞いた時、ちょっと不思議に思いませんでしたか?」
「? 不思議というと?」
「だってイルカです」
「はっ?」
真顔でそんなことを言う佐倉さんに、私は面食らっていた。
「仏教の到来とか世界最古の木造建造物とか言っていた矢先に、突然、海の哺乳類です。しかも、現代ではカタカナで表されることも多い海洋生物。小学生の時に初めてその名前を知った私は、極めて違和感を覚えましたね。あの、イルカとなんの関係あるのかしら、と」
佐倉さんは腕を組み、眉根を寄せてみせた。
いや、かしら、って。
「……あ、あ、たしかに。初めは変に感じたかも。でも私は動物とは思わなかったかなあ。昔は、そういう名前の人もいたのかなあ、くらいの感想でした」
「“乙巳の変”のことが記された日本書紀には、海の“海豚”についての記述があって、その後、編纂された『和名類聚抄』にも“海豚”に“伊流加”と訓が書かれてあるので、当時からあの海の哺乳類が“イルカ”と呼ばれていたのは確かです」
「はあ……」
若干、混乱してきた。
それがサークルの活動とどうつながるのか。
「さっきの合宿のきっかけが、実は蘇我入鹿なんです」
「きっかけ?」
「サークルのメンバーの一人が、突然、言い出しました。“蘇我入鹿”の名前がイルカなのは、後世の歴史家によるネガティブキャンペーンである、と」
「ネ、ネガティブキャンペーン?」
「入鹿の父・“蘇我蝦夷”も、名前が特徴的ですよね。蝦夷といえば、大和朝廷にとっては“夷”――つまり征伐の対象だった。攘夷、征夷、敵を指す言葉です。海豚に蝦夷、どうして蘇我親子は二人そろって、そんな名がついているのでしょうか」
「……本当は他に名前があって、反逆者だから、そういう動物とか北方の敵の名前をつけられた、とかですか?」
「ええ、そのメンバーも同じ意見でした。確かに、“乙巳の変”の記録は、実際に変のあった二百年後に初めて記されたものですから、勝者側の都合で名前や事実を改ざんされたところがあるかもしれない。クーデターを正当化するために、相手を貶める。忌み名をつけられた可能性はありますね。ちなみにですが、よく教科書に載っている“乙巳の変”で首をはねられて無残な姿の入鹿を描いた絵巻は、変からさらに約千年後の江戸時代に描かれたものです。私たちが漫画やテレビなどでよく目にする蘇我親子の姿は、日本書紀やそれ以降に描かれた姿に準拠したものになっています」
「あー、そうなんですね」
「ですから彼、――中村さんも、変の後、力を持った権力者側の差し金だか忖度だかによって、蘇我の親子に入鹿、蝦夷とか、忌み名がつけられたに違いない、という意見でした。――実は、私もそんなところだろうな、と思っています。政敵の清麻呂に汚麻呂と名前をつけて追放したように、子供のいたずらのようなエピソードが残る時代ですからね。ただ、それに対して、丹野さんは違う意見でした」
とりあえず――、
このサークルには、佐倉さんの他に少なくとも二名、メンバーがいるらしい。
「同年代の人物の名乗りとして、熊や鯨といった動物名がつけられることはあったと唱える学者がおられる、とのことです。また屈強な北面の男性として、“蝦夷”という名がつけられることもある、と。ですから、後世の歴史編纂者が嘘つきだと決めつけるのは、単純すぎると彼女は言うわけです」
そして、どうやら一人は女性らしい。
「それで……実際には、どちらが正しいんですか? えっと、中村さんと丹野さん?」
「どちらも決定的な証拠があるわけではないので、学者の中でも意見は割れているようですね。もっとも証拠があったらそういう議論にすらならないんですけどね。ただ、昼の明るいうちに始まったお二人の議論は白熱して、途中、食事を挟みながらも続き、気が付くと朝になっていました。最終的には個人的な罵り合いのレベルになって、二度と顔を見合わせたくないと言って、解散しました」
「あの、それ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫です。いつものことなんで。歴史好きって、なぜか頑固な人が多いんですよねえ」
佐倉さんはしみじみと首を振った。
いや、罵り合いがいつものことって……。
「今のは一例です。このサークルは、こういう歴史の余白を勝手に想像して、意見をぶつけ合う場所なんです。“創造歴史サークル”という名前の由来でもありますが、歴史上で明らかになっていないことを、気の置けない仲間と勝手に仮説を立てて、こうだったんじゃないかと想像して話し合うことを目的としています。もちろん罵り合いはよくないですけど、それだけ自分の考えに信念のある表れということで、よしとしています」
「……なるほど」
と、熱心に説明してくれた佐倉さんに向かってコクコクと頷きつつも、私は、
――正直、このサークル、私には向いてないかもしれない、
と思っていた。
歴史は嫌いじゃない。
だから同じ歴史好きが集まって歴史の話をするのは楽しそうで、だから、歴史サークルがいいなあと思った。
しかし、それは好きな武将や歴史上の人物談義に花を咲かせるような、もっとライトなやつだ。蘇我入鹿の名前について一晩議論するのはなんか違う。しかも罵り合いって、そこまでこだわりを持ってないような……。時代劇の助さん役は、二代目が好きだ、とかなら分かるけど。
「二人が議論している時、佐倉さんはどうされていたんですか?」
まさか目の前の菩薩のような佐倉さんも、他の二人のように罵り合ったりするのだろうかと思い、ふと、質問をしてしまった。
「私はコーヒーを作ったり、お菓子を追加したりしていました」
佐倉さんは微笑みを浮かべる。
ああ、分かる。議論するメンバーの前でゆったりとしている佐倉さんの姿が目に浮かぶようだ。
「私は歴史の知らないことを色々と考えたり、想像したりするのは好きですし、それを話すのも好みですが、それをもって人の意見と戦わせるのは、あまり興味がないんですよね」
答える佐倉さんの表情にはどこか余裕が感じられる。意見を戦わせることに興味がないのは、歴史に関して自分に強い自信があるからでは、と思った。
「……佐倉さんは、どうして歴史好きになったんですか?」
「もともと私は歴史には興味がなかったです。特に日本史にはそうでもなくて、中学生までは公民の方が好きでした。昔のことよりも、今現在の方が自分に直接関係していると思ったからです。ただ高校生になって、自分のことを真剣に考える機会があって――、それで少し変わりました。自分が何者であるかを考え始めると両親に行き着いて、そして両親のことを考えるとそのまた両親につながって、だんだんと先祖に遡っていって。遡っていくと、だんだんと先祖たちが暮らしたこの世界にも広がっていって。それが歴史につながっていくことが分かって……。それでですね。歴史に興味を持ったのは」
言いながら、薄い色の前髪をかきあげる仕草がかっこよかった。
が、若干、そのスケールの大きさに引き気味な私もいた。
時代劇で好きになった私とは、きっかけから違う。そんな人が代表を務めるサークルに、私なんかが入っていいのかって、思えてくるのだ。
「これで大体、このサークルのこと、分かってもらえたと思いますが、他に何か質問はございますか?」
「……サークルのメンバーは三人ですか?」
「他に幽霊部員が数名いますが、基本的には三人ですね」
「……なるほど」
かっこいい代表に、蘇我入鹿の議論で罵り合う部員二人、か。
「こんなサークルですから、ぜひ、今すぐに入って下さい、とは言いづらい。ですからゆっくり、よく考えて、それから決めてください」
「はい、少し考えさせてください」
他のサークルも回って、
それから決めればと、思った。
と、
「ただ、もし入部を希望されるのでしたら」
佐倉さんが、わざと間を置くようにして指先で机をトンと軽く叩いた。
「その時は入部届と一緒に、これから出す課題について、考えてきてくれると嬉しいです」
「課題?」
「はい。タスクです」
「……サークルに入るための条件、みたいなものですか?」
「そう思ってもらっても結構です。なんだか偉そうで恐縮ですが、ただ、この課題に取り組めるような人でないと入った後、サークルに馴染めず、すぐに辞めちゃうと思いますので」
「なるほど……。それは理解できます」
「課題は二つ、選択制です。どちらかを選んで答えてくれても構いません。一つは私の歴史に関すること、もう一つは酒井さん自身の歴史に関すること、です」
「佐倉さんか、私の歴史?」
少しも想像がつかない。
「まずは、僕の歴史に関する課題から。実は、私はお金がありません。大学生とは思えないくらい、キャッシュフローが貧弱です。理由は明快で、働いていないから。私はアルバイトというものをしたことがない。そして、私が働かないのは、私の先祖が働いていなかったから、だと思っています。私には働くDNAがきっとない」
佐倉さんはフッと自虐的に笑った。
かっこいいが、ちょっとコミカルにも見える。
「……ご先祖様、働いてなかったんですか?」
「ええ、そうなんです。佐倉家は明治になるまでは伊達家に仕える和田家という武家でした。廃藩置県で一族が全国に離散して、私の高祖父は東京に出て佐倉家を名乗ったのです。そして、江戸時代、伊達藩に仕えていた頃の和田家は、“無役客分”という扱いでした」
「無役客分??」
「はい。お役目のないお客さんという待遇です。それでいて一千石取りの大身の家臣として、働かずに収入を得ていました。今でいう貴族ニートですね」
羨ましい……のかな?
「さて、ここからが本題ですよ。どうして私の先祖は約二百年もの間、無役客分でやってこられたと思いますか?」
「えっ?」
「普通なら大名に仕える者として仕事が与えられるはずですが、代々の無役客分。伊達家の主人が変わってもその扱いは