あらすじ
「白い結婚を、解消しようと思う。君には感謝している」
夫にそう言われたとき、わたくしは暖炉の薪を数えておりました。
政略で嫁いで三年。指の先も触れられないまま、屋敷の帳面と厨と人繰りだけを任されてきたイレーヌは、離婚に一言も逆らわず「わかりました」と答えます。ただ一つ、婚姻契約の第九条にもとづいて、持参財の返還だけを求めました。
——借金のかたに取られた、実家の宿。
銀の梯子亭。西街道で、峠を越える前に泊まれる、たった一軒の宿。
こうしてイレーヌは宿の主に戻り、彼女を切り捨てた人々は、旅のたびにその敷居をまたぐことになりました。伯爵家の商隊も。夫の想い人も。婚礼の客も。
そして婚礼の前夜、雪の中を訪ねてきた旦那様に、イレーヌは宿帳を閉じてこう申し上げます。
「あいにく、旦那様の泊まるお部屋は、ございません」
声を荒らげず、仕返しもせず、ただ宿を開けているだけ。それだけで、切り捨てた側が勝手に困っていく——丁寧なまま勝つ、街道の宿屋のお話です。
※第1部・全20話予定。ハッピーエンド。恋愛はゆっくりめで、主役は「留飲」です。静かなスカッとがお好きな方へ。