あらすじ

七十歳の独居老人は、喉の違和感をきっかけに「声を使わなければ失われる」と医者に言われる。しかし日常で声を発する機会はほとんどない。亡き妻との会話が消えて七年、テレビに向かって独り言を言うだけの生活だった。  そんなある夜、バラエティ番組で出会ったのは、トークでは言葉を詰まらせるのに、歌になると誰よりも鮮やかな声を放つ少女だった。彼は彼女に奇妙な共感を覚え、「喋らんでいいよ」という言葉を胸に、握手会へ通い始める。  三年間、二か月ごとに同じ言葉だけを伝え続ける日々。やがて人気は落ち、会場は縮小し、列も消えていく。それでも通い続けた十八回目、初めて彼女が言葉を返す。「わたし、まだ喋れないんですけど」。続かない言葉。止まる時間。彼もまた、返す言葉を持たない。ただ「そうかい」とだけ答える。  帰りの電車で、彼は気づく。その日、自分が発した確かな声は、その四文字だけだった。それでも声は出た。失われていなかった。二人の不器用な沈黙が、かすかな声をつなぎとめていた。

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エブリスタ2026/08/09
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