あらすじ
妻に先立たれ、ひとり残された七十過ぎの幸雄。人ひとりぶんの気配が消えた家は、なぜか物ばかりが大きく見える。遺品整理で見つけた妻の油絵道具をきっかけに、幸雄は独学で絵を描き始める。動かない物は、下手に写しても文句を言わず、途中で消えたりもしない——描くのはいつも、家の中の静物ばかりだった。
一年が過ぎ、りんごが少しはりんごに見えるようになったころ。庭の紫陽花を写していた幸雄は、画布の隅に、挿したおぼえのない一輪の白い花を描いてしまう。見たことのないはずのその花を、なぜか迷いのない筆で。
その花を、幸雄はどこかで見た気がした。
遅れてやってくる気づきと、遺されたものの手触りを描く。