あらすじ
海沿いの町の外れ、向かい合った二本のホームだけの無人駅。夕方、上下の列車が続けて出ていった後、次の一本が来るまでの十分間だけ、そこには時刻表の谷間のような静かな空白が訪れる。
真木創太(まきそうた)にとって、その十分間は仮面を外せる唯一の時間だった。過去の出来事から本音は人を傷つける凶器だと信じ、教室では誰にでも調子を合わせて笑ってみせる。深く関わらなければ、誰も傷つけずに済む、そう決めて生きてきた。
線路を挟んだ向かいのホームには、いつも一人で本を読んでいる少女がいる。白瀬凪咲(しらせなぎさ)。周囲には完璧な優等生に見える彼女もまた、言えない言葉を抱えていた。悪意のない期待に応え続けるうちに、本当のことを言おうとすると喉が塞がり、声が出なくなっていった。
十メートルの距離と、二本の線路。声の届かないその隔たりを、ある日ふたりは、紙に書いた文字だけで越えはじめる。
名前も素性も明かさないまま、書いて、掲げて、読んで、返す。一日たった十分の、ひどく不器用で、けれど何より正直なやり取りだけが、少しずつ互いの内側を変えていく。
秋から冬へ、季節は過ぎていく。その十分間に、静かに終わりが近づいていることを、まだ二人は知らない。
声にできない言葉を、紙の上でだけ交わした、冬の物語。