あらすじ
今日は、俺と莉奈の結婚三周年記念日だった。
そして、彼女が会社で四半期の営業成績トップに選ばれた日でもあった。
俺は仕事を早めに切り上げ、花束を抱えて、彼女が勤める会社へ向かった。莉奈は東京・品川にある広告代理店で営業をしている。結婚後、戸籍上は俺の姓になったが、会社では旧姓のまま「白石莉奈」として働いていた。
エレベーターの扉が開いたとき、俺はまだ、どんな顔で花を渡そうか考えていた。
その瞬間、視界に赤い文字が流れた。
【これは刺激が強すぎる。四半期トップの営業と営業本部長が、電気設備室で何をしているんだ】
【黒川部長、あの年でずいぶん元気だな。白石さん、立っているのもやっとじゃないか】
【夫は花束を抱えて迎えに来ているのに、裏切られているとも知らない】
俺はエレベーターの前で立ち止まり、指先に力を込めた。
廊下の突き当たり、給湯室のそばに電気設備室がある。ビルの電気設備や配線が収められている場所で、普段は鍵がかかっている。鍵を持っているのは、ビルの管理会社、防災センター、そして会社の総務部だけだった。
扉の隙間から、女の声が聞こえた。
三年間、何度も聞いてきた声だった。
「黒川さん……もう少し、優しく……」
男の荒い息が混じる。
「莉奈、こういう場所のほうが燃えるんだろ?」
「早くして……直人、今日迎えに来るって言ってたから……」
俺は腕の中の花束を見下ろした。包装紙はまだきれいで、カードにはこう書いてあった。
結婚三周年おめでとう。いつもお疲れさま、莉奈。
俺は扉を叩かなかった。
踏み込むこともしなかった。
振り返って、廊下の端に置かれていたコピー機を押した。予備の段ボールが載った重いコピー機は、電気設備室の扉の前でぴたりと止まった。
それから、近くのケータリング業者に電話をかけた。
「すみません。先ほど会社の祝賀会用に予約した者です。今から届けていただけますか」
電話の向こうで、住所の確認が入る。俺は閉ざされた扉を見ながら、静かな声で答えた。
「はい。三階までお願いします。こちらの廊下で受け取ります」