あらすじ
十九世紀末。産業革命によって人口が急増したヨーロッパでは、農業生産を支える窒素肥料の不足が深刻な問題となりつつあった。植物の生育に不可欠な窒素は南米のチリ硝石に依存していたが、その資源には限りがあり、いずれ世界規模の食糧危機が訪れると一部の科学者は警告していた。もし大気の大部分を占める窒素を人工的に利用できれば、人類は無尽蔵の肥料を得ることができる。しかし当時の科学では、その方法はまだ確立されていなかった。
王立学会の化学者ホフマンは、この問題こそ次の時代の科学が解決すべき課題だと考え、かつての教え子であり化学企業PAS化工を率いる実業家パーキンに、大気中の窒素を固定する研究への投資を働きかけていた。産業界と科学界が結びついたこの計画は、人類の食糧問題を根本から解決する可能性を秘めた壮大な試みであった。
その頃、若き化学者フロギストンは学費の不足から大学を休学し、再び研究を続けるため学友のロベール、アイザックと共に金策に励んでいた。しかしある出来事をきっかけにホフマンに才能を見出され、窒素固定研究の計画へと招かれる。世界の飢餓を救えるかもしれない研究に触れたとき、フロギストンは科学者としての使命を見出し、その計画に身を投じることを決意する。
だが窒素は、肥料であると同時に火薬の原料でもあった。窒素資源の枯渇は農業だけでなく軍事にも深刻な影響を及ぼす問題であり、帝国主義の時代においては戦争の均衡を左右する技術でもあった。
やがてこの研究の存在を知った死の商人ザハロフは、その技術を兵器産業に利用するため、裏社会のネットワークを用いてPAS化工の研究を奪おうと画策する。食糧を救うための科学は、同時に戦争を拡大させる力にもなり得るのだった。
人類を飢餓から救うための研究が、世界を戦争へ導く可能性を孕んでいるとき、科学者は何を選ぶべきなのか。
「空気からパンと戦争をとりだす錬金術」は、大気中の窒素を利用するという未踏の科学技術をめぐり、人類を救おうとする科学者たちと、それを戦争に利用しようとする勢力の対立を描く物語である。