あらすじ
東都ベイサイドホテルの最上階にある宴会場は、シャンデリアの光が痛いほど眩しかった。その夜は藤堂ホールディングス主催のビジネス交流会で、自動車部品、貿易、インダストリアルデザイン関係の代表者が大勢集まっていた。黒瀬デザインも招待を受けていて、俺は地方出張から戻った足で、スーツを着替える間もなく会場へ駆けつけた。
だが、宴会場の扉を押し開けた瞬間、最初に目に飛び込んできたのは、わずかに膨らんだ腹を抱え、若い男の腕に手を添えながら取引先や各社の代表者たちの間を回る妻、桐生夏帆の姿だった。その男は瀬川悠斗。俺が十年にわたり支援してきた、大学の後輩だった。夏帆はやわらかく笑い、声量を抑えながらも、周囲には十分届く声で言った。
「この子の父親が、最近、瀬川プランニングを立ち上げたんです。皆さま、どうか今後ともよろしくお願いいたします」
グラスが、俺の指先でかすかに震えた。十年前、夏帆は子どもを持たない生き方こそ自分たちらしい愛だと言った。子どもに縛られたくない、結婚を育児や家事にすり減らされるだけのものにしたくない、と。
その言葉を信じて、俺はパイプカットを受けた。術後の検査結果は一年ごとに一枚ずつ、今も書斎の引き出しにきちんと保管してある。
それなのに今、彼女はほかの男の子を身ごもり、俺が長年築いてきた商談の場で、その男のために人脈をつないでいる。
先に俺に気づいたのは悠斗だった。口元に薄い笑みを浮かべ、隠しきれない挑発を目に宿している。
「黒瀬先輩もいらしていたんですね。先輩も、育児費用を稼ぎに?」
夏帆が振り返った。その顔に取り乱した様子はなく、ただ一瞬、見られたことへの警戒が走った。
「蒼真、出張中じゃなかったの?」
俺は彼女の腹を見つめた。ここ半年、どうしても腑に落ちなかったことの答えが、その瞬間、一つにつながった。
黒瀬デザインの顧客は何度も横取りされ、こちらの見積もりはいつも一歩先に下をくぐられ、企画書を提出する前から相手会社が先回りしているような動きを見せていた。俺は自分の判断が甘かったのだと思い込み、寝る間も惜しんで穴を埋め、顧客を回り、計画を作り直してきた。
穴は、ずっと俺の隣にあったのだ。
周囲はすでに静まり返っていた。それでも夏帆は、何事もなかったように腹に手を添え、落ち着いた口調で続けた。