あらすじ
会社帰りの小さな惣菜屋で、同じ品へ同時に手を伸ばした優真と一樹。
歩く速さも、物を選ぶ瞬間も、マグカップを置く音さえ重なる二人は、言葉にしなくても分かり合える
心地よさの中で、静かに同じ時間を重ねていく。
しかし、一樹が仕事の参加者名簿で「蔵田和樹」という見知らぬ名前を目にしてから、二人の間に
僅かなズレが生まれ始める。
返事の間。歩き出す瞬間。重ならなくなったカップの音。
理由の分からない衝動に引かれ、一樹は次第に優真の隣から遠ざかっていく。
そんな二人が偶然たどり着いたのは、止まった時計と春の家族写真が残る、古い佐久間自転車店だった。
「動くところまでは直せる。そこから先は、乗る奴が決める」
寡黙な店主・佐久間の言葉が二人の胸へ残る一方、一樹の心は和樹へ強く引き寄せられ、優真との
大切な時間は崩れ始める。
何が二人を繋ぎ、何が引き離そうとしているのか。
誰にも答えが見えない夜の中、佐久間はただ待ち続けていた。
やがて、夕暮れの自転車店に一人の女性が現れる。
黒いレザーハットを被り、紅い自転車へ跨った彼女の名は――由真。
止まりかけた二人の時間を元へ戻すため、「春からの使者」が走り出す。