あらすじ
父の三回忌を過ぎたころから、六十五歳の母は月に一度、派手な服で出かけるようになった。娘は亡き父の知らない恋人がいるのではと疑うが、母の行き先は老人ホームだった。そこにいたのは、母が若いころ「ミサキ」の名で地方アイドルとして活動していた時代、ほとんどすべての舞台に通い続けた唯一の熱心なファン、小林だった。認知症になった彼は母を見るたび、「新曲、楽しみにしています」と笑う。母はその言葉に応えるため、毎月一曲ずつ新しい歌を作って届けていた。やがて小林は母のことさえ分からなくなる。それでも母は歌う。「あの人が私を忘れたからって、私まで、あの人がいたことを忘れなくていいでしょう」。さらに娘は、亡き父もまた母の最初の客席にいたことを知る。推す側と推される側が静かに入れ替わり、その客席が娘へと受け継がれていく物語。