あらすじ

獣国テリオンは、五十年に一度、従属国エルフォニアから「番(つがい)」を連れ去る。パン屋の娘ミオは、十二歳の冬、母を庇って火事に遭い、声を失った。継母には「役立たず」と呼ばれ、指文字を見てくれる者は、もう村にいない。 そのミオを、蛇族の書庫長レスカンが番に選んだ。百年生きた蛇は、彼女に触れず、急かさず、ただ紙とインクを差し出す。五日目、ミオは震える手で、一文字だけ書いた。『こわい』。レスカンは、静かに書き返した。『私もです』。 蛇族領、世界一広い書庫の隅に、ミオの机が置かれる。だが人間の、しかも声を持たない娘を書庫の一員として遇することに、伝統を重んじる評議会は異を唱えていた。そんな折、他種族との国境協定の記録に食い違いが見つかり、誰も読み解けずにいた古い一節を、ミオだけが解き明かす。書庫員たちの目の色が変わり始めた朝、彼女は扉越しに、レスカンの声の断片を聞いてしまう。「彼女は、書庫の実務に、有用です」。 それは評議会を説得するための言葉だった。けれど、続きを聞く前に、ミオは立ち去ってしまう。指文字を教えてくれた優しさは、本当に、優しさだったのか。それとも、有用な人材を育てるための、丁寧な投資に過ぎなかったのか。 声を持たない私は、確かめる術を持たない。訊きたくても、訊く声がない――紙とペンを前に、ミオの手は、まだ止まったままでいる。

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小説を読もう2026/07/24
  • 現在の作品蛇族に嫁いだ、声のない花嫁