あらすじ
男爵家の長女ジルヴィア、二十三歳。
父の急逝から三年、帳場を回して家を支えてきたが、弟の相続には「後見となる縁家」が要る。
持ち込まれた縁談の相手は、王国中の吟遊詩人が歌う生ける伝説。
単騎で橋を三本落とし、軍旗を七本折り、北の峠で千の敵を退けたという「不敗侯」バルタザール、五十三歳。
親族は「生贄」と泣き、社交界は「財産目当て」と笑った。
当のジルヴィアは、条件書を三度読んで言った。
「後見の判ひとつに、侯爵領の家政と、雨漏りのない屋敷。……破格ですわ」
嫁いでみれば、伝説の実物は庭で腰を伸ばしていた白髪交じりの大男である。
雨が来ると膝が鳴り、朝は肩が上がらず、噂の「千人退け」を尋ねれば、気まずそうに白状する。
「……あれは、雪崩だ。わしは吹雪の中で道を間違えただけでな」
――ところが後日、古参の従士がこっそり付け足すのである。
あの吹雪で、閣下は殿の一隊を一人も凍えさせず連れ帰った。歌は、そこを歌わない。
以来、彼女の楽しみがひとつ増えた。
歌が盛った武勇伝を、本人にひとつずつ答え合わせすること。
誇張が剥がれるたび、歌よりよほど惚れる実物が出てくるのだ。
「今日はどの歌にいたしましょう」
「……若い者は、年寄りをからかうものではない」
けれど王都は伝説を手放さない。北がきな臭くなるたび「不敗侯の再登板」を求める使者が門を叩き、本人はといえば、若い妻への遠慮が砦のように固い。
「わしに嫁いだ利は、家の後見だけでよい。心まで払う必要はない」
「もちろん。利で参りましたのよ。でも――居心地で、残りますけれど」