あらすじ
2026年7月15日、国民民主党は、いわゆる「エロ広告規制法案」を参議院へ提出しました。
子どもを守るという目的に反対する人は少ないですよね。でも、そのために性的なものを選別するとき、誰が、何を、どこまで性的と決めるんですか?
裸体、恋愛、性教育、医療、性被害、LGBTQ、文学、漫画、ゲーム、身体表現まで、判断者の道徳観によって境界は容易に広がるでしょう。しかも法案が扱う「青少年有害情報」は性表現だけではなく、犯罪、自殺、残虐表現などを含み、さらに「準ずる情報」へも及ぶようです。
この法案は、作家や作品を直接処罰する法律ではありません。
ただ、広告、検索、推薦、通報、決済という作品と読者を結ぶ入口を、巨大プラットフォームの判断へ委ねる一手となるのは間違いないでしょう。
作品を禁止しなくとも、合法な作品を見つからなくして、告知をさせず、購入しにくくする規制は、発禁よりも見えにくいぶん、異議を申し立てにくいという厄介さをはらみます。
本随筆では、法案本文と政府資料を起点に、性教育、AV新法、AV女優、性風俗従事者、キャバクラ従業者への職業差別、コンビニや駅前から消える成人向け売場、DMM、DLsite、Steamをめぐる決済規制、公共広告の選別、英国、フランス、EUの年齢確認制度までを検証します。
不同意撮影、強要、詐欺、搾取、無断転載、実在する児童への虐待は、具体的な権利侵害として厳しく扱わなければなりません。
ですが、だからと言って、曖昧な言葉(健全、品位、性的などと言った言葉)で、合法な表現や職業そのものを社会から隠すのであれば、それはお為ごかしでしかないでしょう。
性を隠せば、風紀は本当に良くなるのでしょうか。
確認できる事実、私自身の評価、将来への予測を区別しながら、作家の立場から問い直します。