あらすじ
机の上に、一冊の古びたノートが置かれている。表紙には几帳面な字で「板中太郎の物語」と書かれていた。書いたのは、板中太郎その人である。
老いた太郎は、自分の人生を「物語」として書くことに決めた。自伝と銘打てば、どうしても事実の羅列になる。しかし物語として書けば、あの日々の手ざわり――半田ごての焦げる匂い、体育館の白いマグネシウムの粉、五大湖から吹きつける凍った風――を、そのまま紙の上に呼び戻せる気がしたのだ。
だから彼は三人称で書く。「私」ではなく「太郎」と。まるで他人の人生を眺めるように。それは彼が生涯をかけて証明しようとした、あの数式の視点でもあった。人の一生を、外側から、ひとつの数式として眺める視点。
ノートの一行目には、こう記されている。
――ひとりの人間の人生は、ひとつの数式に収まる。
この物語は本当の事である。嘘だと思う読者もいるかもしれないが、本当の事だから仕方ない。
物語は、病弱なひとりの少年から始まる。