あらすじ

佐倉帆夏は、婚前のクルーズ旅行を一日早く切り上げただけだった。 それなのに、婚約者の黒瀬悠真は彼女に別れを切り出した。 沖縄航路のクルーズ旅行、最後の夜だった。窓の外の海は夕日に染まり、レストランには静かなピアノの音が流れていた。周囲の席には、寄り添う恋人や夫婦ばかりが座っている。帆夏は窓際の席で、グラスの氷を無意味にかき回す悠真を見つめながら、不思議なくらい心が冷めていくのを感じていた。 「帆夏、別れよう」 彼女は唇の端を少しだけ上げた。 まるで、その言葉をずっと待っていたかのように。 「西園寺莉央のせい?」 「莉央は関係ない。俺が、帆夏にふさわしくないだけで……」 「佐倉先生と呼んでください」 帆夏は彼の言葉を遮った。声は静かだったが、逃げ道を残すつもりはなかった。 「ほかの女と甘いことを言い合った口で、私の名前を呼ばないでください。気持ち悪いので」 悠真は固まった。 しばらくして、彼は何も言わなくなった。きっと、長く引きずってきた関係が、こんなにあっさり終わるとは思っていなかったのだろう。 帆夏は荷物を引いて部屋を出た。そのまま一人でレストランへ向かう。恋は終わった。けれど、夕食まで台無しにするつもりはない。彼女は皿いっぱいに料理を取り、胸の中に溜まった悔しさをすべて食欲に変えることにした。 食事の途中、少し離れた席に背の高い若い男がいることに気づいた。サングラスにマスク、深くかぶったキャップ。顔を隠しているつもりなのだろうが、逆に目立っていた。帆夏はフォークをくわえたまま二秒ほど見て、たぶん顔がいいのだろうと判断した。 そして、どこかの女性を見すぎて、席を間違えたのだろうとも思った。 「お兄さん、席、違いますよ」 相手は答えなかった。 そのまま、テーブルのカトラリーに手を伸ばす。帆夏は目を細め、少しだけ声を大きくした。 「すみません。ここ、人がいます」 男がようやく顔を上げた。 サングラス越しで目元は見えない。それでも、その一瞬の視線に、どこか奇妙な既視感があった。男は何も言わず、すぐに席を立った。まるで、短く吹き抜けた風のようだった。 帆夏はまた料理に目を戻した。

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小説を読もう2026/07/18
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