あらすじ
グランフェル王国の辺境に建つ、古びた宿《黄昏亭》。
客のほとんど来なくなったその宿を、若き宿主エリオ・ハルヴァンは、亡き祖母の教えを守りながら一人で営んでいた。
――客がどんな場所から来ても、まず温かい食事を出しなさい。
ある夜、地面から空へ昇る銀色の雨《逆時雨》が降り、宿の前に存在しない石畳の道が現れる。
その道を歩いてきたのは、片腕を失い、顔に火傷を負った老騎士だった。
男はエリオしか知らない過去を語り、自らを未来のエリオだと名乗る。
そして、告げた。
「三年後、この宿から世界が滅びる」
「未来を変えたければ、今すぐ黄昏亭を焼け」
老騎士が去ったあとも、異なる未来から客が訪れる。
未来で何万人もの人間を焼き殺す少女を、まだ罪を犯していない今のうちに殺してほしいと願う女騎士。
エリオを父と呼び、幼なじみのセレナが黄昏亭へ火を放ったと語る少女。
存在しなかったことにされようとしている未来から逃げてきた人々。
だが、彼らが語る未来は、互いに矛盾していた。
ある未来ではエリオは英雄となり、別の未来では魔王と呼ばれている。
ある未来では人間と魔族が共存し、別の未来ではどちらかが滅びている。
それでも、すべての未来に共通する出来事が一つだけあった。
三年後、黄昏亭は必ず燃える。
未来を知ることは、本当に人を救うのか。
まだ罪を犯していない者を、未来のために裁いてよいのか。
多くの命を救うためなら、消えてしまう一人を見捨てるべきなのか。
これは未来を選ぶ力を与えられた宿主が、正しい未来を選ぶのではなく、誰かが他人の未来を決める仕組みそのものへ抗う物語。
そして、どんな未来から来た客にも、まず温かい食事を差し出す宿屋の物語。