あらすじ
東証プライム上場、売上八百億——浜崎総合印刷は、百年の歴史を持つ印刷会社だった。しかし今、その足元が揺れている。デジタル化を推し進めるデジタル事業部と、昭和から機械を動かし続けてきた印刷事業部。二つの部署の間に、深い亀裂が走っていた。
その亀裂の中に、一人の男がいた。
島田浩二、三十九歳。かつてデジタル事業部でAIのセキュリティリスクを三度にわたって訴えた。三度とも、無視された。そして印刷事業部に異動させられた。三年間、誰にも聞いてもらえなかった正しい警告を抱えたまま、毎朝デスクに座り続けた。
彼が正しかったことは、やがて証明される。しかし、その証明の方法が、すべてを狂わせた。
AIメールクライアントの脆弱性を突く見えない攻撃「EchoLeak」。社員が知らぬ間に情報が抜かれ続ける中、桐生インターネットセキュリティサービス(KISS)が調査に乗り込む。罠を仕掛け、ログを読み、人間の行動の痕跡を追う。しかし調査が深まるほど、事件の核心はサイバー犯罪の手口ではなく、変化の波に取り残された人間の孤独と、声が届かなかった組織の沈黙へと向かっていく。
導体と絶縁体——電気を通すものと通さないもの。正しいことが正しい場所に届く回路は、なぜ断ち切られたのか。新しいものと古いものの狭間で、人間はどう生きるのか。印刷工場のインクの匂いの中で、その問いが静かに響く。