あらすじ
東京星和大学附属病院の心臓外科医局に入った瞬間、久我美咲がコーヒーを片手に近づいてきた。
「まあ、七瀬先生。今日のお化粧、ずいぶん気合いが入っているんですね」
彼女の視線が、私のアイラインから唇へと滑っていく。
その笑みは柔らかいのに、刃物のように冷たかった。
「心臓外科医なのに、毎日そんなに綺麗にして、誰に見せたいんですか? 患者さんのご家族? それとも、手術の機会もその顔で取っているんですか?」
医局が一瞬で静まり返った。
キーボードを叩く音が半秒だけ止まり、すぐに何事もなかったように再開される。
私はバッグをロッカーに入れ、彼女を振り返った。
「久我主任は、ずいぶんお詳しいんですね。普段から、そうやって機会を取っていらっしゃるんですか?」
久我美咲の笑顔が固まった。
「七瀬先生、どうしてそんなに本気にするんですか? 私って、思ったことをそのまま言っちゃうタイプなんです。悪気はないんですよ」
彼女はいつもそうだった。
最も悪意のある言葉で人を傷つけておきながら、「思ったことを言っただけ」で自分だけは綺麗に逃げる。
そして私の夫、神崎悠真は、いつも彼女の側に立った。
案の定、十分後にLINEが鳴った。
神崎悠真からだった。
「美咲は理事長の姪だ。発言には気をつけろ。彼女に人前で恥をかかせると、俺の立場を笠に着て人をいじめていると思われる。印象が悪い」
私はその一文を見つめたまま、指先を画面の上で止めた。
結局、返信はしなかった。
結婚して三年。
この病院で、私は三年間ずっと耐えてきた。
けれど神崎悠真は知らない。
私には、誰にも言っていない秘密がある。
五年前、私は一度、医療事故で命を落としかけた。
その時、私はこの世界に迷い込んだ。
そして最初の試練を終えた時、古い神社の神が、私に一つだけ願いを叶えると告げたのだ。
久我美咲がそんなに「正直な物言い」が好きなら。
そんなに人を「祝う」のが好きなら。
望み通り、最後まで祝わせてあげればいい。