あらすじ
仕事の途中だった。
次の納品先へ向かう歩道で、足が止まった。
傘は持っていなかった。
左手に、白い建物があった。
母が入所していた施設だった。
入所した当初は、何度か足を運んだ。
洗濯物を届け、他愛のない話をして、帰った。
回数は少しずつ減っていった。仕事が忙しかった。
疲れていた。行こうと思えば行けた日も、車の
ハンドルを切る前に体が重くなった。また今度で
いい。次の休みに、と思った。その次の今度も、
そう思った。
母はやがて歩けなくなり、話せなくなった。
最後に普通に話した日のことは覚えている。
ただし、何を話したかは覚えていない。天気だっ
たか、食事だったか、体の具合だったか。いつも
と変わらない話だったから、覚えていない。
その日も「また来るわ」と言って帰った。
母は「うん」と言った。
それが、最後だった。
施設の前でずぶ濡れになりながら、窓の灯りを
見ていた。誰かが今もあの建物の中で食事をし、
薬を飲み、テレビを見ている。誰かの家族が面会
に来て、帰り際に「また来る」と言っている。
届く相手はいない。
それでも、口が動いた。
雨の日の、誰にも届かない告白。
※エブリスタ妄想コンテスト第269弾
「雨の告白」参加作品です。