あらすじ
共産党独裁国家、サヴラニエ連邦。
最高指導者グロモフ書記長の下、国家保安委員会は人民を監視し、科学者を記録し、失敗を政治的な罪へ変へ、国家が認めた「事実」だけが現実として残る。
そのサヴラニエ政府から、神洲へ秘密の依頼が届いた。
標的は、老科学者セルゲイ・アンドレーエヴィチ・バラノフ。
長距離噴進兵器、誘導技術、特殊弾頭、宇宙開発――赤い帝国の軍事科学を半世紀に亙つて見続けてきた男である。党が欲したのは、その死。しかし国内で粛清すれば余計な波紋を呼ぶ。
ならば、外国に殺させればよい。
神洲側は依頼を受諾する。
報酬は、拘束された四名の返還と、黒印封緘された最高機密資料。
だが保安総局長・岡本駿哉と首相・渡邉公威が命じたのは、老人の殺害ではなかつた。
「記録を殺せ。」
サヴラニエへ潜入したのは、本名も過去も殆ど残されてゐない一人の諜報員。
偽名、アレクセイ・ミハイロヴィチ・カンドーロフ。
彼は記録係として帝国の内部へ入り、科学者の死を作り、外国情報網の争ひを潜り抜けながら、国家そのものが自ら作つた記録を逆用してゆく。
その前へ立ちはだかるのは、国家保安委員会大佐ディミトロフ。
冷徹で有能な防諜官。
そして何故か、渡邉公威とも秘密の繋がりを持つ男。
互ひの真の任務を知らぬまま、無名とディミトロフは敵として遭遇し、追ひ、戦ひ、やがて互ひを認めてゆく。
一方、無名が身分偽装のため近附いた国家保安委員会将校エレーナ・ソコロヴァとの関係も、いつしか任務だけでは説明出来ないものへ変つてゆく。
記録を信じる帝国。
記録を殺す諜報員。
敵国を守りながら敵国首相の命令でも動く大佐。
全てを盤上へ置く渡邉公威。
そして、どの記録にも存在しない恋。
誰が敵で、誰が味方なのか。
そもそも、その区別を知る必要があるのか。
赤い帝国を覆ふ古い網が焼け落ちた時、その下には、誰も存在を知らない新しい網が残つてゐた。