あらすじ
■あらすじ欄(以下すべて)
【あらすじ】
北の空には、月より少し小さい白い円が、いつも同じ場所に浮かんでいる。動かない。消えない。形も変わらない。それが天眼――未知へ手を伸ばすために、人という生き物に賭けている"眼"だと知る者は、ほとんどいない。
緒方拓真は、大学は出席だけ取り、商店街の喫茶店でコーヒーを淹れてもらう、けだるい日々を送る学生だった。ある夜、立体駐車場の屋上で、彼は自分が"普通じゃない"ことを知る。物理法則の向きを、有機物の流れを、指先で捻じ曲げる力――天眼の手。人が壊れていく現象「淀みの種」を剪定し、止まった時間を動かし直すのが、彼の仕事になった。
観測と検証を担う二人の天眼の瞳、氷見透華と七海昴。報告を受ける、寡黙な喫茶店のマスター。彼らと共に、拓真は三つの街で淀みを剪定していく。止まったはずの機械が回り続ける廃工場。呼吸が一つに揃った自習室。上るほど増えていく階段。四人住んで三人分の足音しかない団地の一室。――淀みはいつも、人の心の奥にある"真理"から芽吹く。
だが、淀みは自然に生えるだけではない。天眼の対(つい)、終焉へ手を伸ばす地眼。その代行者は、十体いる。彼らは人にとって最も魅力的な姿をまとい、人の営みを支える十の力――服従、裁き、慈悲、欲、美、繋がり――を、一つずつ反転させて、人の世界の外側から、終焉の芽を撒いていく。
今日、拓真が剪定した淀みも、そのうちの一体が、撒いたものかもしれない。
温かい喫茶店に帰る日常と、その外で終焉の芽を撒く十体。淀みを摘んでは、あの店に帰る。その繰り返しの果てに、拓真は知ることになる――自分が、何者なのか。そして、あの喫茶店のマスターが、何者なのかを。
【世界観】
◇天眼(てんがん)
北の空に、いつも同じ場所に浮かぶ、月より少し小さい白い円。動かず、消えず、形も変わらない。天体の名で呼ばれることもあるが、その正体は、未知へ手を伸ばすために人という生き物に「賭けている」眼。人を泳がせ、観ているだけで、自らは介入しない。介入のために、力を託した人間を地上に置いている。
◇地眼(ちがん)
天眼の対。天眼が"未知"へ向かうのに対し、地眼は"終焉"へ手を伸ばす。地眼はその意思を、十体の代行者に託して地上へ送り込む。
◇淀みの種(よどみのたね)
人が壊れていく現象。人の心の奥にある"真理"や、誠実な営みの積み重ねが、空間そのものに「節(ふし)」として固着し、そこに囚われた人間を静かに終わらせていく。多くは自然発生だが、地眼の代行者が意図的に濃く撒いたものもある。
◇天眼の手(てんがんのて)/剪定(せんてい)
淀みの種を解く力を持つ者。物理法則の向き、有機物の流れ、空間に固着した節を、指先で捻じ曲げる。壊れかけた者を助け、止まった時間を動かし直す。この行為を「剪定」と呼ぶ。核となる術式は詠唱で発動する。
◇天眼の瞳(てんがんのひとみ)
「手」に付く相棒。手が見落とすものを拾い、観測と検証を担う。案件を、顕在化したもの(氷見)と、潜在的な兆候(七海)で分担する。
◇十体の代行者
地眼が送り込む敵。人の営みを支える十の力(服従・裁き・慈悲・欲・美・繋がり…)を、それぞれ一体が反転させて撒く。対象にとって最も魅力的な姿をまとうが、その魅力は捕食の罠。全部で十体。
◇三つの街
物語は隣接する三市で進む。
・琴生市(ことおし)……拠点。拓真の暮らす商店街と大学、あの喫茶店がある。
・凪浦市(なぎうら)……沿岸部。海風の届く高台に古い団地がある。
・槙ヶ崎市(まきがさき)……山際。旧温泉郷や、山の手の進学校がある。
【主要人物】
◆緒方拓真(おがた・たくま)/主人公・天眼の手
外見:大学生、二十歳前後。痩せ気味の細身。やや長い黒髪が前髪で目にかかる。眠たげで気だるい目。普段着は喫茶店のエプロン、私服はくたびれたラフな学生風。
人物:何かが起こることより、何も起こらないことが性に合う、けだるい性格。だが淀みに囚われた者を前にすると引き受ける。剪定はベクトル操作・有機物操作・詠唱を組み合わせる。
口調:一人称「俺」。「面倒くせえな」が口癖。結論先行、ぶっきらぼう。だが根は面倒見がいい。
◆氷見透華(ひみ・とうか)/天眼の瞳・顕在案件担当
外見:黒髪ロングストレート。まっすぐ伸びた背筋。彫像のように整った無表情。濃紺のワンピースやコートなど、暗色で端正な装い。背は高め。所作がきっちりしている(椅子を半歩だけ引いて座る等)。
人物:観測・検証・事後処理を担い、顕在化した案件を扱う。組織のリソースを動かす窓口。効率と正確性を最優先する。
口調:丁寧語で「緒方さん」と呼ぶ。店内でも業務口調を崩さない。ごく稀に、語尾の一拍だけ、わずかに伸びる揺らぎがある。
◆七海昴(ななみ・すばる)/天眼の瞳・潜在案件担当
外見:明るい色のセミロング。だぼついたシャツにカーゴパンツ。男にも女にも見える中性的な輪郭、未完成な骨格、細い首。背は低め。見た目は十六、七で通る。にこにこ笑う。
特殊技能:人間擬装の名手。姿勢・視線・声音を作り替え、別人(真面目な女子高生など)に化ける。
人物:潜在的な兆候を、まだ崩れていない段階で拾う係。剪定対象への接し方に、保護者でも友人でもない、観察者としての独特の近さがある。
口調:一人称「ボク」。「タクマ君」。砕けた少年口調。擬装と擬装の隙間に、古風で素朴な"素"の響きが短く漏れる。
◆マスター/喫茶店の店主・謎
外見:初老、白髪交じり。皺の刻まれた手。いつも布巾を持つか、豆を挽いている。くたびれた上着。顔立ちは、なぜか印象に残らない。
人物:拓真に剪定の仕事を継がせた人物。天眼の手・淀みの種・地眼を、当たり前の言葉として口にする。淀みに動じず、あり得ない光景の中でも表情を変えない。喫茶店の店主として、拓真の帰る港であり続ける。
謎:その正体は不明。訊いても「喫茶店の、マスターだよ」としか答えない。
口調:寡黙。訊かれた範囲でしか答えない。時折、含みのある一言だけを残す。
◆地眼の代行者(十体のうちの一体)/敵
外見:つば広の帽子で顔の上半分を影にした女。原点(立体駐車場の屋上)では、真紅のドレスをまとっていた。以後、その姿は色で固定されない(逆光の輪郭だけで示される等)。人にとって最も魅力的に映るが、その美しさの下には感情がなく、標本を、あるいは台の上に載せた虫を覗き込むような目をしている。
役割:淀みの種を意図的に撒く側。人の営みの十の力を反転させ、外側から人を壊す。同じ姿のものが、全部で十体いる。
【舞台】
◇喫茶店(琴生市・商店街)
アーケードの中ほど、古書店と布団屋に挟まれた細い間口。掲げるのは「珈琲」の一字だけの木の看板。押すと低い鈴が鳴る木の扉。中はカウンターと数席、窓際の席にはいつも常連の老人が文庫本を開いている。サイフォンと、豆を挽くミルの音。拓真が剪定を終えて必ず帰ってくる、温かい港。
◇北の空の天眼
三つの街のどこからでも、屋根の隙間の向こうに、月より少し小さい白い円が見える。動かない。消えない。形も変わらない。
◇各話の舞台
・立体駐車場(琴生市・宮ヶ辻の外れ)……五階建ての古いコンクリートの箱。非常灯の緑だけが柱を照らす、ほとんど使われていない廃駐車場。屋上が、すべての始まりの場所。
・廃工場(旧東繊紡績跡地)……灰色の廃墟群の奥に立つ四階建て。窓は半分割れ、蔦と黒い染み。地下に、止まったはずの機械が並ぶ。
・北稜学院・特進クラスの自習室(槙ヶ崎市・山際の進学校)……磨りガラスの大きな扉の奥、南向きの窓から陽の差す部屋。三十数人が同じ姿勢で机に向かう。
・奥槙荘(槙ヶ崎市・旧温泉郷)……集落の一番奥、二階建ての和風旅館。黒い屋根瓦に苔、消えかけた墨書の看板。急で、増える階段。
・沖埜台団地(凪浦市・沿岸の高台)……海風の吹き上げる坂の上、築六十年を超える五階建ての公営団地。同じ形の棟が四つ並ぶ。その三号棟の四階の一室。