あらすじ
1937年、上海租界。
香港から来た翻訳者のアンは、雨の外灘に建つ海晏酒店で、どこか帰属の読めない顔をしたバーテンダーのレイと出会う。客の名前、グラスの位置、煙草の火、誰かが残した紙片――彼は酒を作りながら、夜の奥で動くものを静かに見ていた。
取材と翻訳の仕事で租界に滞在するアンは、やがてそのバーへ足を運ぶようになる。レイは、彼女がただの美しい客ではないことを知る。アンもまた、彼をただの店員として見ない。二人は視線を交わすたび、互いが見てはいけないものを見ていることに気づいていく。
ただの客と店員でいられなくなった二人は、雨に煙る租界の中で、触れない距離のまま互いの輪郭を覚えてしまう。
触れないまま残った夜の火が、いつか遠い港町の朝の湯気へ変わるまでの、港町ノワールロマンス。