あらすじ
文化祭の前日、人は一人死んだ。
その日を境に、私たちの日常は終わりを告げた。
けれど、このときの私はまだ知らない。
好きな人の隣で笑っていられる時間が、あと少ししか残されていないことを。
◇◇◇
「朝比奈、副委員長ー!」
教室の後ろから呼ばれて、私は振り返った。
「これ、実行委員会で使う資料。委員長に渡しといて!」
文化祭実行委員の女子が、分厚いファイルを私に押し付ける。
「えっ、今?」
「ごめん! 私、呼ばれてるから!」
そう言って走っていってしまった。
「……しょうがないか。」
ファイルを抱え、私は廊下へ出る。
明日は文化祭。
校内はいつもより騒がしかった。
廊下には段ボールや絵の具が並び、あちこちから金づちの音や笑い声が聞こえる。
普段なら「早く帰りたい」と思う放課後も、今日だけは少し特別だった。
好きな人と一緒にいられる時間が、少しだけ長いから。
「神崎くん。」
視聴覚室を覗くと、資料を見ながら先生と話している神崎くんがいた。
「あ、朝比奈。」
私に気づくと、柔らかく笑う。
その笑顔だけで、胸が熱くなる。
「これ、実行委員から。」
「ありがとう。助かった。」
資料を受け取る神崎くんの指先が、ほんの少し私の手に触れた。
それだけで心臓がうるさい。
……我ながら単純だ。
「朝比奈?」
「え?」
「顔、赤いけど大丈夫?」
「だ、大丈夫!」
慌てて一歩下がる。
神崎くんは不思議そうに笑った。
……絶対気づいてない。
私が神崎くんを好きだから、副委員長になったことなんて。
半年前。
クラス委員を決めるホームルームで、私は人生で一番勇気を出した。
『副委員長、やります。』
その一言で、神崎くんの隣に立てた。
後悔なんて、一度もしたことはない。
「朝比奈。」
「ん?」
「今日、準備終わったら校内の見回り、一緒にお願いしていい?」
「もちろん!」
思わず大きな声が出る。
神崎くんは少し笑って、
「ありがとう。」
と言った。
……今日も幸せだ。
「幸せそうだね。」
背中から聞き慣れた声がした。
振り返ると、白石悠真が壁にもたれながらこっちを見ていた。
「何その顔。」
「委員長と話しただけでその顔になるの、分かりやすすぎ。」
「うるさい。」
「否定しないんだ。」
「しない。」
「潔い。」
悠真は声を出して笑う。
昔からこうだ。
幼稚園の頃から一緒だから、私の考えていることなんて全部お見通しらしい。
「でもさ。」
悠真は少しだけ真面目な顔になる。
「事件って、案外こういう普通の日に起こるんだよ。」
「またミステリーの話?」
「現実の事件も、大体そう。」
「はいはい。」
私は苦笑した。
悠真は昔からミステリー小説が大好きだ。
本棚は推理小説で埋まっていて、休み時間も分厚い文庫本を読んでいる。
本人いわく、
「名探偵にはなれなくても、犯人は当てたい。」
らしい。
「もし学校で事件が起きたら、お前はどうする?」
「そんなの起きるわけないじゃん。」
そう言うと、悠真は肩をすくめた。
「だといいけど。」
◇◇◇
教室へ戻る途中。
窓際の一番後ろの席で、本を読んでいる人が目に入った。
黒瀬凛。
クラスメイトだけど、話したことはほとんどない。
いつも一人。
休み時間も誰かと話しているところを見たことがない。
「黒瀬。」
先生に呼ばれても、
「……はい。」
それだけ。
必要最低限しか話さない。
笑った顔も見たことがない。
近寄りがたい雰囲気のせいか、クラスでも積極的に話しかける人はいなかった。
黒瀬はページをめくる手を止めることなく、静かに本を読み続けている。
私は少しだけ目を向けたあと、そのまま教室を出た。
◇◇◇
夕方六時。
校内に残っている生徒も少なくなってきた。
私は神崎くんと一緒に、各教室の施錠確認をしていた。
「一年A組、よし。」
神崎くんがチェック表に丸を付ける。
「次は旧校舎側だね。」
その言葉に、私は思わず顔を上げた。
旧校舎。
今は使われていない、校庭の奥に建つ古い建物。
立入禁止になっていて、生徒が近づくことはほとんどない。
「先に職員室寄ってくる。」
神崎くんが言う。
「先生に鍵返してくるから、朝比奈は昇降口で待ってて。」
「分かった。」
私は一人で昇降口へ向かった。
ふと、窓の外を見る。
夕日に照らされた旧校舎。
その二階の窓に――
誰かが立っていた。
制服姿。
こちらをじっと見ている。
思わず足が止まる。
「……誰?」
瞬きをした、その一瞬。
人影は消えていた。
「見間違い……?」
胸がざわつく。
理由なんて分からない。
でも、目が離せなかった。
「朝比奈!」
神崎くんの声が聞こえ、私は我に返る。
「帰ろう。」
「……うん。」
私はもう一度だけ旧校舎を見た。
そこには、もう誰もいなかった。
⸻
翌朝。
文化祭当日。
浮かれた空気に包まれるはずだった教室は、異様な静けさに包まれていた。
担任の姿はない。
代わりに学年主任が教壇へ立つ。
その表情を見た瞬間、嫌な予感が胸をよぎる。
「みなさん、落ち着いて聞いてください。」
教室中が息を潜める。
「昨夜、本校の旧校舎で――」
学年主任は一度言葉を切った。
「本校教員一名の遺体が発見されました。」
誰かが小さく息を呑む音がした。
私の頭に浮かんだのは、昨日見たあの人影。
あれは、本当に見間違いだったのだろうか。
それとも――。