あらすじ
『春菊三十円』
――離婚はしない。死が二人を分かつまで。
七十歳の佐藤恒一は、定年退職後も近所のホームセンターで経理を手伝っている。
家計簿歴四十五年。数字を信じ、無駄を嫌い、何より節約を正しいことだと考えて生きてきた。
妻の恒子、六十七歳。安売りの野菜を見つけるのがささやかな楽しみだ。
春菊が一束三十円で売られていた日、嬉しくなって買って帰る。
しかし恒一は「無駄だ」と怒鳴る。
冷房をつければ叱られ、食事の献立も夫が決める。家計簿はいつも黒字だった。
だがある夏の日、恒子は家の中で熱中症になる。
さらに検査の結果、大腿骨壊死が見つかる。
医師から栄養状態や生活環境について説明を受けても、恒一には理解できない。
家計簿に間違いはなく、数字の上では何一つ問題がないからだ。
正しいはずなのに、なぜ妻は壊れていったのか。
四十年以上連れ添った夫婦が向き合うのは、お金の話ではない。
家計簿には書かれない我慢、数字では測れない豊かさ、
そして相手を思いやるということだった。
やがて恒一は知ることになる。
計算が苦手だと思っていた妻が、
自分には見えていなかった未来を四十年間かけて積み立てていたことを――。
これは、離婚もしない、復讐もしない夫婦の物語。
正しさだけでは届かない場所へ、人生の晩年になってようやく辿り着く二人の現代文学。