あらすじ
現代人の多くは、結果というアクマに惑わされている。
私自身が、過程というアクマに惑わされている、という観方も、できるだろう。
しかしながら、今という時代における、結果の、アクマ性は、後者のアクマ性を、上回っているように思う。
仕事はともかく(仕事それ自体が生き甲斐である場合を除くなら)、せめて、あなたがあなたらしくある時間くらいは、過程というあなたの歴史を、家庭というあなたの安らぎを、結果度外視のそれ自体で満たされるもの、にしようではないか。
AIの一般化の加勢もありつつ、何から何まで既に用意される、パッケージ化されることが当然となって、能動的創造よりも、受動的消費を、右に倣え左もそうしろ、の附和雷同が標準な世界。
他者のつくった⦅ルール⦆に従い、物差し⦅ルーラー⦆に支配⦅ルール⦆される一方なのは、生存戦略的にみて、楽であり、秩序的であり、安定ではあるが・・・
安心と言えるだろうか。
だからちょっと、帰納してみよう。