あらすじ
薄く霧がかかった湿った夜。一台の黒塗りの高級車が灯りもまばらな郊外の道を滑るように走り、やがて一軒の古びた屋敷の前で静かに停車した。
エンジンの音が途絶えるや否や初老の運転手が慌ただしく車外へ飛び出した。濡れた地面に足を取られそうになりながらも素早く車体の後ろへ回り込み、深々と腰を屈めて後部座席のドアを開けた。
「ふん……」と、甲高く鼻を鳴らし、一人の美しい女がゆっくりと車から降りた。
女は手にした扇子を顔の前で優雅に扇ぎつつ屋敷を見上げた。
明かりは玄関脇に取り付けられた外灯が二つだけ。そのうち片方は電球が切れているらしく、暗闇に沈み込み、壁とほとんど区別がつかない。残る一つの弱々しい灯りだけが、ひび割れた外壁や色褪せた玄関の扉をぼんやりと照らし出していた。
風が吹くたびに生い茂った庭木の影がぬるりと揺れ、この屋敷が世界から切り離されていないことをかろうじて感じさせた。