あらすじ
一九五一年、六月の梅雨。リンゼイの事務所へ身を寄せる直前、紫雲士郎(しうん・しろう)は生まれ育った東亰・武蔵田の自宅へと立ち寄る。そこは、母の死後にやってきた強欲な後妻への復讐と、彼女の娘であり、士郎が0歳児の頃から悪魔的なチューニングを施し戸籍を勝手に書き換えた実の妹・狂子(きょうこ)との、歪んだ情念が渦巻く「閉じた日常」だった。妹からの、狂気的な兄の名前の羅列と「たすけて」とだけ書き殴られた二ヶ月前の手紙。士郎はリンゼイたちに対する後ろめたさから、何も言わずに単身、愛車の『陸王』を爆音で走らせて奈良(奈落)の山奥へと向かう。辿り着いた丘の頂に聳え立つのは、明治初期に建てられたネオゴシック様式の歪な洋館――『黒尖塔館』。そこは、豪商であった犬神家の先祖が西洋人技師を惨殺し、地下牢で『ネクロノミコン』を使って時間を超える不浄の怪異を呼び出した呪われた屋敷だった。大学時代の旧友であり、驚くほど老け果てた兄・亜喜良(あきら)と、かつて士郎が仄かな恋心を抱いていた美しい妹・亜季子(あきこ)。「妹はもう魔女になった。この家と共に一族を根絶やしにする」亜喜良たちの制止をハネ除け、士郎は地下の最奥から汚れなき白いワンピースに身を包んだ亜季子を救い出す。だが、梅雨の嵐によって足止めを喰らった翌朝、彼女は寝台の上で冷たい骸となって発見される。執り行われる、異常に急がされた葬儀。棺の蓋が閉まる直前、死んでいるはずの彼女の薬指が棺の底を「カリッ」と引っ掻いた……。理性がそれを錯覚だと結論づけた瞬間、重厚な蓋が閉じられ、彼女は地下の墓所へと運ばれていく(早すぎた埋葬)。その夜、客間のベッドで跳ね起きた士郎の耳に、地下室から爪で硬い木材を執拗に引っ掻く音が響く。ガバメントを握りしめ地下へ降りた士郎が目撃したのは、部屋の四隅の『一二〇度以下の鋭角』から青黒い煙を吹き出し、三次元の物理法則を無視して無理やり肉体を出現させる、時間以前の獣――【ティンダロスの猟犬】の群れだった。そして棺を食い破り、一族の呪いと早すぎた埋葬の恐怖によって圧倒的に美しい「人狼」へと変貌を遂げた亜季子が、激しい咆哮を上げて士郎に襲いかかる!四五口径の直線の弾道すら水面の波紋のように軌道を歪められ、一切の物理攻撃が通用しない絶望。士郎は山頂から無線で、背中にラムジェットエンジンを二機搭載させ飛行機能を持たせた『鉄人731号』を召喚して反撃を試みるが、人狼の圧倒的な質量にねじ伏せられ、鉄人の前面装甲の真ん中に完璧な直角の【十字の傷痕(呪い)】を深く刻み込まれてしまう――。大江健三郎の文学的オマージュを散りばめ、エドガー・アラン・ポーのゴシックな退廃美とフリオ・コルタサルの不条理な空間侵食、そしてクトゥルフ神話が完璧に融合した二万文字の特大長編。士郎単独主役編『黒尖塔館の崩壊』、ここに開幕。