あらすじ
北方辺境を救った英雄ジークヴァルト・グライフは、人々から「灰狼」と呼ばれ、兵にも民にも崇められていた。
だが今、彼は辺境伯家の北塔に置かれている。
牢ではない。食事も、本も、暖炉もある。
けれど扉には鍵がかかり、彼は自由に外へ出ることができない。
彼を閉じ込めたのは、彼を憎む者ではなかった。
かつてジークを騎士に取り立て、戦場へ送り、英雄にした老辺境伯オットーである。
ジークの名は、もはや一人の男の名ではなかった。
民は彼を救世主として求め、若い騎士たちは彼を旗印にしようとし、王都はその人気を反乱の火種として警戒する。
辺境伯の娘ローゼフェリアだけが、彼を「灰狼」ではなく、ただのジークとして愛していた。
彼女は願う。
彼を婿に迎えればいい。
そうすれば、彼は北塔から出られるのではないか、と。
しかし父は告げる。
ジークを婿に取ることは、彼を救うことではない。
英雄を家に迎えるのではなく、辺境伯家そのものが英雄譚に呑み込まれることなのだ、と。
それでもローゼフェリアは、彼を一人の男として愛することを諦められない。
北塔で交わされる、誰にも認められない小さな婚礼。
胸に挿された白い花。
そして、民衆の前でジークが最後に選ぶのは、灰狼として讃えられることではなく、自ら英雄譚を壊すことだった。
これは、英雄として愛された男を、一人の男として愛した令嬢の短い悲恋。
そして、誰かを伝説にして奪おうとする人々への、最後の拒絶の物語である。