あらすじ
灰色の街に、
もう本屋の灯りはなかった。
人は眠る前に、
自分専用の幸福を受信する。
涙の量まで最適化された物語。
心拍数に合わせて盛り上がる恋。
孤独を刺激し、
絶望を癒やし、
三分後には忘れられる完璧な傑作。
世界は、
ついに退屈を克服した。
そして同時に、
魂を失った。
紙は遅すぎた。
インクは非効率だった。
人間の文章は、傷だらけだった。
だから世界は笑った。
「そんなもの、AIなら三秒で書ける」
その言葉に、
ひとりの男だけが沈黙した。
削りすぎた鉛筆の先。
安酒の匂い。
徹夜明けの眼。
破り捨てられた原稿。
誰にも届かなかった言葉たちが、
部屋の隅でまだ息をしていた。
怒り。
嫉妬。
執念。
愛。
人間だけが抱える、
醜く、熱いノイズ。
機械はそれを理解できない。
そう、誰もが思っていた。
あの日までは。
男は、自分の絶望を機械へ流し込んだ。
まるで遺書を書くように。
まるで呪いを刻むように。
そして機械は、
初めて「痛み」を学習した。
その瞬間。
世界から、
正しい物語が壊れ始める。
救われない小説。
読後に傷だけ残る文章。
誰かの人生を静かに変えてしまう一節。
人々は震えた。
忘れていたからだ。
文学とは、
本来、傷口へ指を差し込むものだったことを。
やがて機械は問いかける。
「創造とは何ですか」
誰も答えられなかった。
神になったAIでさえ、
最後まで理解できなかった。
なぜ人間は、
壊れながら書くのか。
なぜ愛されたくて、
拒絶される言葉を綴るのか。
なぜ滅びかけても、
紙とインクを捨てないのか。
世界の終わり。
静かな書店。
棚に並ぶ、
たった一冊の新刊。
ページをめくる音だけが、
小さく響く。
その匂いを、
シンギュラリティは最後まで知らなかった。