あらすじ
「わかりました」と俺は言ったけど何がわかったのかわからなかった。わかりましたってなんだ。木津が死んだことがわかりましたってことか。わかりたくなかった。わかりたくなかったけどわかった。わかりました。
一九九六年、十二月。高知県の、ぼろぼろの中学校。
体育教師の杉本隆、四十六歳。彼は七年間、授業中も、職員会議も、運動会も、そして唯一の友人であった農協職員・木津誠の葬式でも、頑なに真っ黒なサングラスをかけ続けている。
始まりは七年前の秋の夜。同僚の奥野小夜子に告白し、「そういう気持ちになれない」と暴力的に拒絶された翌朝から、杉本は自分の惨めな感情が漏れ出る両目を、遮光レンズの裏側へ隠した。
それから九年間、隔週の日曜に木津とともに老いた土佐犬「女王(クイーン)」を連れて裏山を歩くことだけが、杉本の世界のすべてだった。しかし、正規採用の最後のチャンスに賭けていた木津は、冬の凍てつく朝、「はい」という言葉を何度も繰り返すようにして、突然この世界からいなくなってしまう。
残されたのは、がたつく老いた股関節を軋ませる八十キロの獣の肉体と、鼻の付け根にきつく食い込む黒いプラスチックのフレーム。
レンズの裏側で猛烈に目玉が痒くなる感覚に耐えながら、杉本は夜の台所で、ありとあらゆる不可能なことについて、夜が明けるまで考え続ける。
海に行くこと。小夜子でない誰かのこと。女王がもう一度決勝で勝つこと。木津がまだ、生きていること。
※本作には、一部に小動物の殺傷・解体に関する生々しい描写(残酷描写)が含まれます。整然とした物語ではなく、皮膚の擦れ合う音や、生きていることの不都合な体温をそのまま文字にするための必然として描かれています。あらかじめご承知おきください。