あらすじ
2023年11月、横浜市内のマンションで一人の男が死んでいた。
IT企業に勤めるフリーランスエンジニア、桐嶋悠人、31歳。死後推定9日。直接死因は急性心不全。争った形跡はなく、第一発見者である管理人が警察へ通報。事件性なしとして処理された、ありふれた孤独死のはずだった。
姉の麻衣子が遺品のスマートフォンを手にするまでは。
画面の割れたiPhone 14 Proの中に残されていたのは、奇妙な空白だった。写真、メッセージ、メモ、検索履歴――死の直前二ヶ月分のデータが、ごっそりと「存在していなかった」。消去された痕跡だけを残して、まるで最初から何もなかったかのように。
真相を求めた麻衣子は、複数のデータ復元業者に依頼を重ねるが、担当者は次々と理由を告げず作業を放棄していく。最終的に依頼を引き受けたのは、デジタルアーカイブ・ラボの担当ディレクター・伊東慶介。彼は五ヶ月をかけてデータの断片を拾い集め、桐嶋悠人の「最後の二ヶ月」を少しずつ復元していく。
LINEのトーク履歴。検索履歴の残骸。メモアプリの断片。誰かに送られなかったメールの下書き。そして、撮影日時が「1970年1月1日 00:00:00」と記録された一枚の写真。
復元されたデータが示す真実は、「事件性なし」という結論を静かに、しかし確実に崩していく。悠人は死の数週間前から、何かに気づいていた。何かを恐れていた。そして、誰かに伝えようとしていた。
本書はその記録である。
ただし、編集を担当した伊東慶介は、本書の完成を待たずして行方不明となった。
残されたデータの中に、答えがある。
あるいは、答えに辿り着いた者が次々と消えていくだけかもしれない。
あなたが今読もうとしているのは、誰かが消されるまでに残した記録だ。
桐嶋悠人のスマートフォンには、復元できなかったデータが今もある。
それが何であったかは、誰にも分からない。
データは「存在しなかった」のだから。
本書は実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
……たぶん。