あらすじ
旧暦の盆の翌晩を「裏盆」と呼ぶ集落がある。
民俗誌ライターの私は、山間の村・梶ノ原を取材で訪れた。家ごとに供物が違う。湯飲みの水、塩を盛った皿、半分の蝋燭、布で巻いた鎌。集落の老婆が言った。
「迎え盆で迎えるんは、家のもん。裏盆で迎えるんは、家のもんやないもの」
宿の主は私に告げた。十六日の夜は、二階から下りるな、と。
戸籍上は二十二軒。住人がいるのは二十軒。窓から見える屋根は、地図より一軒多い。二十年前、宿の女将と、その娘が、同じ晩に家から外へ出た。それきり、橋の下で見つかった。
客は、家のなかにおる者の数を数える。数が合えば、入らない。合わなければ、入ろうとする。
私は、数えられた。
十六日の夜が明けたとき、私は梶ノ原を発った。
来年の裏盆の前に、もう一度、梶ノ原に行く。
行かなければ、客が、私のところまで来る。
登場人物紹介
野上 透(のがみ とおる)/34歳/東京
フリーの民俗誌ライター。「失われゆく民俗行事」の連載で梶ノ原を訪ねる。冷静に観察し、聞き、記録する。記録した手帳は、最後に集落の囲炉裏の上に置いてくることになる。
梶 善次郎(かじ ぜんじろう)/70代/梶ノ原
民宿「かじや」の主。痩せて首が長く、耳の上の縁が外側へ折れている。集落の「裏盆」を取り仕切る家系の現当主。妻と母を、二十年前の同じ晩に失った。
梶 紀子(かじ のりこ)/46歳/梶ノ原
善次郎の娘。一度離婚して集落に戻っている。母を失ったとき、彼女は小学生だった。母が湯飲みを三つ並べているところを、二階から見ていた、最後の家族。
滝沢 タツ/85歳/梶ノ原
集落最年長。神社の手前、参道に近い家に住む。空の飯椀をひとつ、玄関に置いている。「迎えるもんが、自分で決める。器を見て、入ってくる」。
奥津 重信(おくつ しげのぶ)/60代/梶ノ原
役場の出張所に勤めていた元職員。集落の戸籍と、過去二十年の記録を、薄い茶封筒にして持ち歩いている。
梶の家のもん
名は呼ばれない。十六日の夕方、家に入ってくる。同席するが、見てはいけない。湯飲みは、誰も握っていなくても、湯気を立てる。