あらすじ
王冠は金色に輝いていた。磨かれた大理石の廊下も、宝石を散りばめた玉座も、夜ごと開かれる華やかな舞踏会も。誰も知らなかった。それらを支えていたのが、一冊の帳簿と一人の王妃だったことを。
国王は言った。
「側妃を迎える。準備は王妃府でやれ」
それは感謝のない命令だった。当然のように発せられた命令だった。
王妃は微笑んだ。怒りも見せず、涙も見せず、ただ静かに答えた。
「かしこまりました」
そして彼女は、長年握り続けていた蛇口を閉じた。
予算を止める。契約を止める。補填を止める。無償の労働を止める。
誰にも気づかれなかった。最初の一日は。
ドレスは届かなかった。二日目には宝石商が姿を消した。三日目には厨房の肉がなくなった。四日目には暖炉の火が消えた。五日目には衛兵たちが不満を漏らした。そして七日目、王宮全体が寒さに震えていた。
王は叫ぶ。
「なぜだ! たかが王妃一人いなくなっただけだろう!」
けれど誰も答えない。
違う。
いなくなったのは王妃ではない。王宮を動かしていた仕組みだ。信用だ。信頼だ。責任だ。誰かが黙って埋め続けていた穴だ。
やがて公開された決算書。赤い数字が並んでいた。その下には王妃個人からの補填額が延々と続いていた。
国王は初めて知る。
国を支えていたのは王冠ではなかった。自分でもなかった。王妃だった。
けれど、その時にはもう遅い。
届いたのは花束ではない。契約書でもない。復縁の手紙でもない。
五年分の立替金精算書だった。
数字は冷たい。だからこそ残酷だ。言い訳を聞かない。涙にも流されない。愛情にも値引きしない。
支払期限だけが静かに迫ってくる。
そして王妃は、もう振り返らない。
白紙の予算表を渡した日、彼女の人生もまた白紙になった。
だが白紙とは失うことではない。何を書いてもいいということだ。
新しい国。新しい仲間。新しい未来。
誰かの無償労働ではなく、誰かの当然でもなく、努力が報われ、才能が尊重され、感謝が言葉になる場所。
そこで彼女は新しい帳簿を開く。
最初のページに書く文字は、赤字でも借金でも義務でもない。
ただ一行。
「これより先は、私の人生」
と。