あらすじ
高校三年生の田中ひかりにとって、父は家具のような存在だった。毎朝六時に台所にいて、弁当を作り、ほとんど何も話さない人。ありがたいとも、邪魔だとも言いきれない、ただそこにある日常だった。
ところがある日、父が電車内で迷惑行為を静かに止める動画が拡散される。ネットは父を「令和の侍」と呼び、さらに七年間続けていた弁当アカウントまで掘り起こす。毎朝の弁当、父の沈黙、娘である自分の存在まで、知らない誰かの感動コンテンツになっていく。
「幸せな娘」と呼ばれるたび、ひかりは息苦しくなる。父を誇ればいいのか、恥ずかしがればいいのか、自分でもわからない。進路も、家族も、感謝も、すべてが白紙のまま揺れ始める。
無口な父は、なぜ言うべき時だけ言えるのか。
そして娘は、ずっと言えなかった一言を言えるのか。
バズった善意の向こう側で、普通の家族がもう一度出会い直す、静かな父娘小説。