あらすじ
時は架空の王朝・朱華(あけは)の都。後宮ではなく、男女の官人が同じ屋根の下に勤める「中宮職(ちゅうぐうしき)」——その最下層、雑用係として日々を送る十七歳の女官・香坂凛子(こうさか・りんこ)。
彼女には誰にも言えない秘密がある。生まれつき"鼻が利きすぎる"のだ。 それも、ただの嗅覚ではない。人の身に染みついた香、衣に残る薫物、汗に混じる僅かな焦燥——そのひとつひとつから、その人がどこにいて、誰と会い、何を隠しているのかを、絵巻物のように読み取ってしまう。
母を喪った日、凛子はその力で「父の浮気」を言い当ててしまった。それ以来、人に疎まれ、家を追われ、宮中の片隅で息をひそめて生きてきた——はずだった。
ある夜、寵愛深い黄梅御方(おうばいのおんかた)が、自室で死体となって発見される。床には毒杯。状況は完全な自死。 だが、亡骸に近づいた凛子だけが気づいてしまった。 ——この方の襟元に残る香、これは、彼女自身のものではない。
物言わぬ「香り」が、凛子を選んでしまった。 そして、調査を命じられた若き式部丞・橘 千歳(たちばな・ちとせ)もまた、彼女の鼻を「使える」と見抜く。
毒、文(ふみ)、衣擦れ、伽羅の煙——すべてが手がかり。 匂いは、決して嘘をつかない。 鼻だけが武器の下級女官が、絢爛たる宮中の裏側で、声なき真実を嗅ぎ当てる。