あらすじ
静かな雨だった。
世界は今日も、
強い者だけを讃えていた。
ダンジョンを裂く剣。
空を焦がす魔法。
英雄たちの勝利。
誰もが拍手を送るその裏で、
眠れない夜を抱えた人間が、
静かに壊れていく。
草壁茂、四十五歳。
会社に尽くし、
数字を守り、
誰かが無茶をしないよう、
ただ必死に支えてきた男。
だが最後に返ってきたのは、
「お前はもう要らない」
その一言だった。
雨に濡れた帰り道。
見切り品の棚で、
百円のミントが揺れていた。
枯れかけた、小さな葉。
まるで自分みたいだと、
彼は思った。
だから、買った。
世界でたったひとつ、
まだ自分が見捨てたくなかった命を。
深夜二時。
誰もいない初心者ダンジョン。
冷えた石床。
遠くで響く魔物の唸り声。
その片隅で、
男は小さなプランターに土を入れる。
剣ではない。
魔法でもない。
ただ、土。
ただ、水。
ただ、小さな緑。
けれど。
ミントは香った。
張り詰めた瘴気を、
凍りついた心を、
静かにほどいていくように。
疲れ切った探索者たちは、
やがてその場所へ辿り着く。
眠れなかった少女。
壊れかけた英雄。
戦うことしか知らなかった人たち。
彼らは剣を置き、
ただ湯気を見つめる。
「……落ち着く」
その一言だけを残して。
世界を救う力なんて、
なくていい。
誰かを安心させる香りが、
たったひとつあればいい。
踏まれても、
傷ついても、
それでも青く香る雑草のように。
深夜ダンジョンの隅で、
今日も小さな聖域が息をする。
「お疲れ様でした」
その言葉だけが、
壊れそうな誰かを、
そっと明日へ繋いでいた。