あらすじ
常連二人と看板娘の三角関係、本人は気づかない――。
王都の食堂兼酒場「白馬の蹄亭」の看板娘、リナは二十二歳。肺の病を抱える弟トトの薬代のために、六年間店で働いてきた。職人気質の父ハインツ、控えめな母ロザ、家族で営む小さな店。傭兵の老人、市場の魚屋、石工の親方。穏やかな常連たちに囲まれて、リナにとっては、明日も同じ朝が来ることが何より大事だった。
ある春の日、二人の新顔が現れる。昼にフードを目深に被って訪れる、貴族風の男ライナス。夜に来る、大柄で礼儀正しい男カイル。別々に来ていた二人は旧友同士だと判明し、同じ卓で食事するようになる。リナは「気のいい常連が増えた」と思うだけで、二人が、第四皇子と近衛騎士団長であることを、長く知らないままだった。
雨の店で、リナはライナスから名を聞かれて答え、ライナスもまた名を返す。やがて押しの強い商人マルコが現れ、リナへの距離を少しずつ詰め始める。男2人は互いの動揺を察し合いながら、決して口にしない。「リナを巡る恋敵でありながら、店の中では親友のままでいる」――その共犯関係が、二人の間に静かに成立する。
弟トトの咳が深刻化した日、リナは決断する。「私、店を辞めます。トトの傍にいます」。毎夜「お大事に」と聞いてくれる男2人に、母ロザがつい漏らしてしまう。「リナは、店を辞めることにしたみたいなんです」――その一言が、二人を動かす。リナを失わないため、男2人はそれぞれの権力を初めてフルに動かす。父王の名で教会の高位の祈り手を手配するライナス。騎士団の伝手で薬師を引っ張ってくるカイル。「リナさんに、誰がやったかは言わない。それが、二人の間の、最後の作法だ」。王宮からの使者が白馬の蹄亭を訪れ、トトの治療が始まる。三週間後の朝、トトはひさしぶりに「お腹空いた」と言う。リナは「私、店に戻ります」と決意を更新する。
復帰したリナに、二人は静かな婉曲告白をする。「気にするな。お前が店にいないと困るから」「俺もな。お前の作る飯が食えないと、寂しい」。リナはそれを「常連の親しみ」として受け取る。三角関係には、最後まで気づかない。
季節がもう一度変わり、トトの咳が完全に消えた頃、母ロザがリナに、初めて踏み込んだ問いを向ける。「リナ、お前、これからのこと、考えてる?」。リナの擦り減りを心配して「結婚するべきかも、と思うことがある」と漏らした春の日から、母の問いはもう一段深くなっていた。六年間、リナの人生は「トトのため」という一文に集約されていた。その前提が消えたことに、動きが変わらないままで気づかずに済んできた。終わった線の先に、リナは今、立っている。
決着しない三角関係。気づかないリナと、気づかれないままでいい二人。変わらない日常を願ってきた看板娘が、弟の回復を経て、初めて自分自身と向き合い始める――ささやかで温かい、一人の女性の小さな転換の物語。