あらすじ
道端でiPhoneを拾った。ただ、それだけだった。
37歳・会社員の草野寿人は、どこにでもいる善良な男だ。子育てをきっかけに「落とし物は拾ったら届ける」を当たり前にしてきた。駅員に渡す、店員に渡す、交番に届ける。たったそれだけのことが、誰かの一日を救うと知っているから。その日も、いつも通りのことをしただけだった。
だが、持ち主が悪かった。
黒崎哀香——同じ沿線に住む、地元で知らぬ者のいない「モンスターマザー」。ママ友、習い事、PTA。彼女に目をつけられた家庭は、理由もわからぬまま孤立していく。そう囁かれる女だった。
最初は些細な行き違いだった。ほんの小さな、誰の目にも止まらないはずのやりとり。しかし哀香の中で、事実は都合よく書き換えられていく。「あの男に嫌な思いをさせられた」。その一言が町に放たれた瞬間から、寿人と妻まゆみの日常は静かに軋み始めた。
LINEの返信が遅れる。娘が遊びに誘われなくなる。昨日まで笑顔だったママ友が、目を合わせなくなる。噂は姿を変え、尾ひれをつけ、町内をゆっくりと這っていく。何が起きているのか、誰も教えてくれない。ただ、家族の周りから人が消えていく。
何もしていない。ただ、落ちていたものを拾って届けただけだ。なのに、なぜ家族がここまで追い詰められなければいけないのか。
善意で拾ったはずの寿人は、やがて気づく。自分が拾ってしまったのは、スマホではなく、関わってはいけない人間そのものだったのだと——。
ご近所トラブルはなぜ泥沼化するのか。正しさは、悪意の前でどこまで無力なのか。
追い詰められた「普通の男」の、静かで容赦のない反撃が始まる。