あらすじ
春の風が、少しだけ冷たかった。
東京よりもずっとやわらかい空気のはずなのに、どうしてか、胸に引っかかる。
久しぶりに降りた地元の駅は、驚くほど変わっていなかった。
改札の位置も、色褪せた看板も、全部、あの頃のまま。
(……なにも、変わってない)
そう思った瞬間、少しだけほっとしてしまった自分に気づいて、
及川結夢(おいかわゆめ)は小さく息を吐いた。
東京では、何もかもが速すぎた。
人も、街も、夢でさえも、置いていかないと前に進めないみたいで。
売れっ子の女優になりたくて、ここを飛び出した。
役者学校も出た。
それでもオーディションには、何度受けても受からなかった。
気づけば、「夢」じゃなくて「現実」を数える日々になっていた。
だから、帰ってきた。
逃げたわけじゃない、なんて言い訳を頭の中で繰り返しながら、
結夢は実家とは反対の道へと足を向ける。
向かった先は、あの場所だった。
子どもの頃、幼なじみと作った秘密基地。
まだ、あるわけない。
そう思いながら、それでも足は止まらなかった。
木々の間を抜けて、小さな空き地に出る。
__あった。
拍子抜けするほど、そのままの形で。
崩れかけた板、無造作に積まれた石、
誰にも見つからないように隠したつもりだった、あの頃の世界。
結夢は、ゆっくりと中に入る。
指でなぞった柱には、
あの日のまま、二人分の背の高さが刻まれていた。
机の上には、色あせた紙切れ。
当時流行っていたアイドルの写真。
そして、その隣に__
『ゆめは、女優になる』
幼い字で書かれた自分の夢。
(……まだ、残ってる)
その瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。
変わらないものに、こんなにも救われるなんて思わなかった。
でも同時に、それが少しだけ苦しかった。
ぽたり、と一滴。
気づいた時には、涙がこぼれていた。
そのとき。
「__結夢?」
背後から、声がした。
聞き覚えのあるイントネーション。
でも、少しだけ低くなった声。
ゆっくりと振り返ると、そこに立っていたのは__